宮部襄
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宮部 襄(みやべ じょう、1846年5月18日(弘化4年4月4日[1]) - 1923年(大正12年)9月9日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]群馬県出身[2]。漢学と英語を学ぶ[2]。高崎藩中小姓、貢士、西京公用人、高崎藩大属兼文武学校総裁、度会県史生、白川県出仕、同県大属、熊本県警部、群馬県出仕、群馬県師範学校校長を歴任する[2]。自由新聞を発刊し、自由党の結成に参加、幹事となる[2]。また、広徳館を開き、館長となった[2]。
1904年の第9回衆議院議員総選挙において高崎市選挙区から無所属で立候補して当選した[3]。立憲政友会に入り、衆議院議員を1期務めた。1908年の第10回衆議院議員総選挙では落選した[4]。1923年死去。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。