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奥玉村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おくたまむら
奥玉村
廃止日 1956年9月30日
廃止理由 新設合併
奥玉村、千厩町、小梨村磐清水村千厩町
現在の自治体 一関市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 岩手県
東磐井郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 29.41 km2.
総人口 4,671
(『岩手県町村合併誌』、1956年8月)
隣接自治体 岩手県:
東磐井郡大東町磐清水村小梨村室根村
奥玉村役場
所在地 岩手県東磐井郡奥玉村字中日向194-1
座標 北緯38度57分32秒 東経141度22分34秒 / 北緯38.95889度 東経141.37622度 / 38.95889; 141.37622座標: 北緯38度57分32秒 東経141度22分34秒 / 北緯38.95889度 東経141.37622度 / 38.95889; 141.37622
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奥玉村(おくたまむら)は、昭和31年(1956年)まで岩手県東磐井郡にあった村。現在の一関市千厩町奥玉にあたる。

地理

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自然

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沿革

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  • 明治8年(1875年)10月17日 - 水沢県による村落統合にともない、上奥玉村・中奥玉村・下奥玉村が合併して奥玉村となる。
  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、奥玉村単独で村制施行。
  • 昭和31年(1956年)9月30日 - 千厩町・磐清水村小梨村と合併し、新制の千厩町となる。

行政

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歴代村長

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氏名 就任 退任 備考
1 千葉三良輔 明治22年(1889年)5月27日 明治28年(1895年)5月9日
2 太田行蔵 明治28年(1895年)5月23日 明治31年(1898年)3月23日
3 菅原金作 明治31年(1898年)3月31日 明治34年(1901年)4月20日
4 千葉三良輔 明治34年(1901年)5月9日 明治38年(1905年)5月8日 再任
5 佐藤久右衛門 明治38年(1905年)5月18日 明治42年(1909年)5月17日
6 柏利兵衛 明治42年(1909年)5月26日 大正8年(1919年)12月2日
7 及川千代治 大正9年(1920年)4月8日 大正11年(1922年)4月7日
8 菊池順 大正11年(1922年)5月1日 大正11年(1922年)12月4日
9 皆川鶴太郎 大正14年(1925年)4月1日 昭和2年(1927年)1月20日
10 宍戸彰 昭和2年(1927年)1月21日 昭和6年(1931年)11月3日
11 太田敬義 昭和6年(1931年)12月28日 昭和10年(1935年)12月27日
12 菊池徳兵衛 昭和10年(1935年)12月28日 昭和19年(1944年)11月24日
13 加藤武蔵 昭和19年(1944年)12月28日 昭和21年(1946年)10月30日
14 菅原雄 昭和22年(1947年)4月10日 昭和31年(1956年)9月29日

経済

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第一次産業

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教育

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※村内に高等学校は存在しない。最寄りの高校は岩手県立千厩高等学校

中学校

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  • 奥玉村立奥玉中学校

小学校

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  • 奥玉村立奥玉小学校
  • 奥玉村立奥玉小学校上分校
  • 奥玉村立奥玉小学校下分校

※以下は廃校

  • 奥玉村立上奥玉学校(1878年・奥玉小を統合新設)
  • 奥玉村立中の前学校(同上)

交通

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鉄道

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村内に鉄道駅は存在しない。最寄りの駅は国鉄大船渡線小梨駅

脚注

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参考文献

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  • 『岩手県町村合併誌』(岩手県総務部地方課、1957)

関連項目

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