大井沢村 (茨城県)

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おおいさわむら
大井沢村
廃止日 1955年3月1日
廃止理由 新設合併
高野村、守谷町、大井沢村大野村 → 守谷町
現在の自治体 守谷市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 茨城県
北相馬郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 11.25 km2.
総人口 2,696
(1954年7月)
隣接自治体 北相馬郡守谷町大野村小絹村菅生村内守谷村野田市
大井沢村役場
所在地 茨城県北相馬郡大井沢村大字大木674番地2
座標 北緯35度58分02秒 東経139度58分33秒 / 北緯35.96719度 東経139.97597度 / 35.96719; 139.97597 (大井沢村)座標: 北緯35度58分02秒 東経139度58分33秒 / 北緯35.96719度 東経139.97597度 / 35.96719; 139.97597 (大井沢村)
特記事項 人口・面積共に「史郷守谷(茨城県守谷町)」より
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大井沢村(おおいさわむら)は、1889年明治22年)4月1日から1955年昭和30年)3月1日まで存在した茨城県北相馬郡。現在の茨城県守谷市北部に当たる地域。

地理[編集]

茨城県北相馬郡西部に存在した村。主に常総台地上に位置した村で、西南部の低地は1625年寛永2年)に「大木新田」として開墾された。全域が古くは守谷郷に属し、農業が主体の村であった。 地域の西部を流路変更によって掘削された鬼怒川が流れ、鬼怒川西岸の南部(大木流作地区)、立沢北部(素住台地区、後に常総ニュータウン北守谷の開発により消滅)は戦後に開拓の行われた地域となっていた。

現在の地名では板戸井大木大山新田久保ケ丘御所ケ丘立沢松前台薬師台及び、の一部に相当する。

地域[編集]

  • 大字板戸井
    • (字)鵜ケ崎、鬼久保、庚申塚(こうしんつか)、小屋場、槐戸(さいかじと)、十三部(じゅうさんぶ)、千所、高崎、高山、立埜(たての)、滝下、滝山、竹原、樽井後(たるいうしろ)、出口、中ノ台、中畑、中屋敷、中割、根割、原山、古内、前桁、前田(まえた)、前山、前畑、南割、向地、向中ノ台、屋敷後(やしきうしろ)
  • 大字大木
    • (字)馬乗場、大木、大木流作、沖割、枯松、川州、川中子、木戸口、金糞(かなくそ)、香取谷、蒲立(かばたつ)、上島(かみじま)、観音前、鬼怒割、栗山、小水門、境割(さかえわり)、山王前、神田ケ入(じんでんがいり)、水神前、胎ノ脇、高崎、高崎下、台、大日下、大日下沖、出津、寺下、遠鹿台(とうかだい)、遠高崎、遠中州道祖神、利根割、中押、中島、中州、中根、中ノ台、中割、楢山、西大木、西久保、根押、稗売、稗穀、東、古川押、前島、前田、前通、前山、松前(まつまえ)、松山、薬師堂
  • 大字大山新田
    • (字)大谷原、香取、香取裏、香取下、小屋場、水神後(すいじんうしろ)、水神前、溜原、中耕地、西耕地、東耕地、東原、深田(ふかた)、深田台(ふかただ)、松前(まつまい)、水ケ砂(みつがすな)、南割
  • 大字立沢
    • (字)猪ノ尻(いのしり)、後田(うしろだ)、後畑(うしろはた)、大久保、大坪、大山原、鹿島前、蟹内、久保町(くぼちょう)、郷後田(ごううしろだ)、御所台、下井戸(さげいど)、下ケ戸、笹久保、山王後、山王前、山王脇、新田前、千町、大日下、高崎、滝ノ入、堂ノ内、堂ノ前、直道、中ノ台、中畑、中山、西荻久保、野口、野口前、野目里塚(のめりづか)、橋向(はしむかい)、東荻久保、深田ケ入(ふかたがいり)、鼻輪、本郷、本田、前田、水久保(みつくぼ)、宮脇、向地、向山

歴史[編集]

村名の由来[編集]

大木村、大山新田の「大」、板戸井村の「井」、立沢村の「沢」を取って大井沢村とした。

沿革・年表[編集]

  • 1777年安永6年) 相馬郡大山村を相馬郡大山新田に改称。
  • 1873年(明治6年)6月15日 廃藩置県により、相馬郡が千葉県所属となる。
  • 1875年(明治8年)5月7日 相馬郡のうち、利根川以北が茨城県に移管。
  • 1877年(明治10年) 大木村と大木新田が合併し、相馬郡大木村となる。
  • 1878年(明治11年)7月22日 郡区町村編制法が施行され、相馬郡が2つに分割され、北相馬郡が成立する。
  • 1889年(明治22年) 北相馬郡大木村、大山新田、板戸井村、立沢村が合併し、北相馬郡大井沢村となる。また、村役場を大字大木19番地に設置。
  • 1916年大正5年)5月13日 村役場を大字大木674番地2に移転[1]
  • 1955年昭和30年)3月1日 守谷町、大野村高野村と合併し、守谷町となり、消滅する。

地域の変遷[編集]

市町村域[編集]

安政6年以前 安政6年 - 明治10年 明治10年 - 明治11年7月21日 明治11年7月22日 - 明治22年3月31日
相馬郡立沢村 相馬郡立沢村 相馬郡立沢村 北相馬郡立沢村
相馬郡板戸井村 相馬郡板戸井村 相馬郡板戸井村 北相馬郡板戸井村
相馬郡大山村 相馬郡大山新田 相馬郡大山新田 北相馬郡大山新田
相馬郡大木村 相馬郡大木村 相馬郡大木村 北相馬郡大木村
相馬郡大木新田 相馬郡大木新田
明治22年4月1日 - 昭和30年2月28日 昭和30年3月1日 - 平成14年2月2日 現在
北相馬郡大井沢村 北相馬郡守谷町 守谷市

交通[編集]

当時、大井沢村には鉄道駅は存在しなかったが、地域の東部を常総鉄道(後の常総筑波鉄道、現在の関東鉄道常総線)が通り、隣接する守谷町の守谷駅、小絹村の小絹駅が利用できた。また、明治期には東京市へ行く蒸気船「通運丸」が鬼怒川を通っていた。

施設[編集]

  • 大井沢駐在所(守谷派出所管内)
  • 大井沢村立大井沢小学校
  • 大井沢村立大井沢中学校
  • 滝下橋

脚注[編集]

  1. ^ 市町村合併史

参考文献[編集]

  • 角川日本地名大辞典 8 茨城県 (角川書店)
  • 史郷守谷(茨城県守谷町)

関連項目[編集]