大久保康忠
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 天文18年(1549年) |
死没 | 元和7年10月9日(1621年11月22日) |
別名 | 通称:兵蔵、新八郎、五郎右衛門 |
戒名 | 日玖 |
墓所 | 本妙寺 |
主君 | 徳川家康 |
氏族 | 大久保氏 |
父母 | 大久保忠勝 |
兄弟 | 康忠、新七郎、忠景、河澄五郎左衛門室、古川右衛門次郎室、忠以、忠良、佐原重連室、簗田六左衛門室、竹内正円室、元政 |
妻 | 松平信一の娘 |
子 | 兵蔵、松平正勝室→内藤忠清室、康村、天野清宗室、渡辺忠四郎室、慶安尼、忠重、九左衛門 |
大久保 康忠(おおくぼ やすただ)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。徳川氏の家臣。
生涯
[編集]永禄6年(1563年)三河一向一揆対応のために大久保氏が籠もる上和田砦に松平家康が来訪した際に元服し、「康」の字を与えられ、以後は家康の側近となる。元亀元年(1570年)姉川の戦いでは本陣に接近する敵軍と戦って首級2つを得た。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いでも活躍したが、その後は病を得て隠退した。
出典
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第701(『寛政重修諸家譜 第4輯』p.760)