土岐康貞
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時代 | 鎌倉時代後期 - 室町時代 |
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生誕 | 正中2年(1325年)? |
死没 | 観応3年/正平7年(1352年) |
別名 | 悪五郎、康定 |
主君 | 足利尊氏→義詮→義満 |
氏族 | 土岐氏 |
父母 | 父:土岐頼清(頼宗) |
兄弟 | 頼康、明智頼兼、頼雄(揖斐)、康貞、直氏、頼忠 |
子 | 久々利康頼(行春・利春)、宇田康任、土岐行之、羽崎光直 |
土岐 康貞(とき やすさだ)は、鎌倉時代後期から室町時代の守護大名。久々利氏の祖[1]。兄に土岐頼康がいる[2]。
生涯
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南北朝時代に久々利城を築城した[3]。観応3年/正平7年(1352年)3月、荒坂山にて和田正武に討ち取られた[2]。
画像集
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明台寺(大垣市)(土岐悪五郎墓所は敷地内)
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土岐惡五郎御墓所(大垣市)(岐阜県大垣市墨俣町226)