周藤歓一郎
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周藤 歓一郎 | |
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生誕 |
1881年2月5日 日本 島根県 |
死没 | 1943年3月8日(62歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1903年 - 1933年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
除隊後 | 燃料国策研究会会員 |
周藤 歓一郎(すとう かんいちろう[1]、1881年(明治14年)2月5日[2] - 1943年(昭和18年)3月8日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等功級は従四位勲三等功五級[3]。
経歴
[編集]島根県出身[2]。陸軍士官学校第15期卒業[2]。日露戦争に出征し[4]、その功により功五級金鵄勲章を授与された[4]。1920年(大正9年)8月、陸軍騎兵少佐に進級し[1]、同年9月時点で陸軍騎兵学校教官の任にあった[1]。1923年(大正12年)9月時点で陸軍野戦砲兵学校教官兼同校教官部部員に転じ[5]、1925年(大正14年)3月に陸軍騎兵中佐に進級し[6]、同年9月時点で騎兵第15連隊附となった[6]。同年12月には騎兵第9連隊長(第9師団[7][8])に就任し[8]、1928年(昭和3年)3月に騎兵第24連隊長(第8師団・騎兵第3旅団[9][10])に転じ[11][10]、同年8月に陸軍騎兵大佐に進級した[11]。
1929年(昭和4年)8月、軍馬補充部三本木支部長に着任し[11]、1931年(昭和6年)3月に軍馬補充部高級部員に転じた[2]。1933年(昭和8年)8月1日、陸軍少将進級と同時に待命となり[2][11]、8月30日に予備役に編入された[2]。
予備役編入後は燃料国策研究会会員に就任した[12]。
脚注
[編集]- ^ a b c 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正9年9月1日調894頁
- ^ a b c d e f g 福川 2001, 403頁.
- ^ 人事興信所 1941, ス1頁.
- ^ a b 聯合通信社 1933, ス之部1頁.
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正12年9月1日調795頁
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正14年9月1日調728頁
- ^ 外山・森松 1987, 389頁.
- ^ a b 外山・森松 1987, 390頁.
- ^ 外山・森松 1987, 386頁.
- ^ a b 外山・森松 1987, 388頁.
- ^ a b c d 外山 1981, 203頁.
- ^ 長谷川 1941, 364頁.
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 聯合通信社 編『日本人事名鑑 昭和9年版 上卷』聯合通信社、1933年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年 。
- 長谷川尚一 編『石油国策論集』長谷川事務所、1941年 。