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周藤歓一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
周藤 歓一郎
生誕 1881年2月5日
日本の旗 日本 島根県
死没 (1943-03-08) 1943年3月8日(62歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1903年 - 1933年
最終階級 陸軍少将
除隊後 燃料国策研究会会員
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周藤 歓一郎(すとう かんいちろう[1]1881年明治14年)2月5日[2] - 1943年昭和18年)3月8日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等功級は従四位勲三等功五級[3]

経歴

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島根県出身[2]陸軍士官学校第15期卒業[2]日露戦争に出征し[4]、その功により功五級金鵄勲章を授与された[4]1920年(大正9年)8月、陸軍騎兵少佐に進級し[1]、同年9月時点で陸軍騎兵学校教官の任にあった[1]1923年(大正12年)9月時点で陸軍野戦砲兵学校教官兼同校教官部部員に転じ[5]1925年(大正14年)3月に陸軍騎兵中佐に進級し[6]、同年9月時点で騎兵第15連隊附となった[6]。同年12月には騎兵第9連隊長(第9師団[7][8])に就任し[8]1928年(昭和3年)3月に騎兵第24連隊長(第8師団・騎兵第3旅団[9][10])に転じ[11][10]、同年8月に陸軍騎兵大佐に進級した[11]

1929年(昭和4年)8月、軍馬補充部三本木支部長に着任し[11]1931年(昭和6年)3月に軍馬補充部高級部員に転じた[2]1933年(昭和8年)8月1日、陸軍少将進級と同時に待命となり[2][11]8月30日に予備役に編入された[2]

予備役編入後は燃料国策研究会会員に就任した[12]

脚注

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参考文献

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  • 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 聯合通信社 編『日本人事名鑑 昭和9年版 上卷』聯合通信社、1933年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1688664 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3430443 
  • 長谷川尚一 編『石油国策論集』長谷川事務所、1941年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1031861