伊達邦実
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 文政6年10月22日(1823年11月24日) |
死没 | 安政6年7月7日(1859年8月5日) |
別名 | 藤五郎、安房 |
戒名 | 直指院殿見山了性大居士 |
墓所 | 大雄寺(宮城県亘理郡亘理町) |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 伊達慶邦 |
藩 | 仙台藩 |
氏族 | 伊達氏 |
父母 | 父:伊達宗恒 |
兄弟 | 邦実、三沢邦為、岩城邦規、藤子(伊達邦賢室) |
妻 | 正室:伊達保子(伊達斉義娘) |
子 | 豊子(伊達邦成室)、養子:邦成 |
伊達 邦実(だて くにざね)は、江戸時代後期の仙台藩一門第二席・亘理伊達家第13代当主。
生涯
[編集]文政6年(1823年)10月22日、亘理伊達家第12代当主・伊達宗恒の嫡男として生まれる。
天保6年(1835年)3月15日、仙台城で元服。伊達斉邦の偏諱を受けて「邦実」と名乗る。[1]
弘化元年(1844年)10月10日、藩主伊達慶邦の異母妹・保子(佑姫)を娶り、弘化4年12月(西暦では翌1848年)、父・宗恒の隠居にともない家督を相続する。
安政6年(1859年)7月7日死去。享年37。邦実には六男二女があったが、二女の豊子を除いて皆夭逝したため、岩出山伊達義監の二男・邦成を豊子の婿に迎え、養嗣子とした。
正室の佑姫は保子と改名。夫の死後に落飾して貞操院と号し、維新後に養子邦実と北海道に移住して家臣とともに開拓に従事した。[1]
系譜
[編集]- 父:伊達宗恒
参考文献
[編集]- 『亘理町史』上巻(宮城県亘理郡亘理町、1975年)
- 伊達宗弘・伊達君代『仙台藩最後のお姫さま 北の大地に馳せた夢』(新人物往来社、2004年)