亀井玉堂

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亀井 玉堂(かめい ぎょくどう、享和元年(1801年) - 嘉永4年3月17日1851年4月18日))とは江戸時代名古屋浮世絵師画家

来歴[編集]

森玉僊、後に山本梅逸の門人。亀井氏であったが後に加藤氏を称す。名は半二。玉堂、玉暁、石華と号す。若い時には玉僊に師事、肉筆浮世絵を描いていたが、後に京都の山本梅逸の元へ行き画域を広げた。文政年間に瀬戸へ赴き、陶工の川本治兵衛、川本半助らの窯において絵付けをしている。肉筆の美人画、南蛮風の花鳥画に優れており、その技術を十二分に染付けに生かした。特に晩年、陶工の川本伊六と組んで制作した染付け磁器は「半二焼」と呼ばれて重宝された。享年51。

作品[編集]

  • 「壮美二妓読書の図」 1幅 文政8年(1825年)
  • 「草花図」 1幅 天保10年(1839年)
  • 「通天暮秋図」 1幅

参考文献[編集]