コンテンツにスキップ

久恒貞雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
久恒貞雄

久恒 貞雄(ひさつね さだお、1870年5月24日(明治3年4月24日[1]) - 1950年昭和25年)5月10日[2][3])は、大正から昭和時代前期の政治家銀行家実業家貴族院多額納税者議員衆議院議員(1期)。

経歴

[編集]

豊前中津藩下毛郡上宮永村(豊田村、中津町を経て現中津市)に生まれる[4]。生家は平凡な農家で、青年期は種物売りや荷馬などで稼いだ[5]近衛歩兵連隊に入隊し、日清戦争に従軍[5]。帰朝後の1897年(明治30年)1月、福岡県田川郡弓削田村(後藤寺町を経て現田川市)に赴き、田川採炭に入社するが程なくして退職する[5]。他にも採炭会社を転々としたが長く続かず、自ら石炭商を開業[5]。ついで日露戦争に従軍し、帰朝後に採炭業を始めた[5]。漆生炭鉱を買収し、下山田、猪ノ鼻と鉱区を広げ、久恒鉱業を設立[5]1920年(大正9年)同社社長に就任した[2]。ほか、下毛銀行、大分商業銀行各頭取、筑豊石炭鉱業組合理事長[2]、福岡県土木調査委員などを歴任した[3]

1928年昭和3年)2月の第16回衆議院議員総選挙では福岡県第2区から立憲政友会所属で出馬し当選し、1期務めた[3]。ほか、1932年(昭和7年)大分県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1939年(昭和14年)9月28日まで在任した[2]

脚注

[編集]
  1. ^ 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、31頁。
  2. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1960, 210頁.
  3. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1962, 413頁.
  4. ^ 経世社 1935, 155頁.
  5. ^ a b c d e f 経世社 1935, 156頁.
  6. ^ 『官報』第1727号、昭和7年9月30日。

参考文献

[編集]