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中島城 (尾張国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中島城址 石碑 一宮市

中島城(なかしまじょう)は、尾張国中島郡中島村(現愛知県一宮市萩原町中島)にあった鎌倉時代から戦国時代にかけての日本の城豪族中島氏中嶋氏)の居城(日本の城)。

城主

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略歴

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承久3年(1221年6月5日嵯峨源氏の流れをくむ中島氏が当地に土着したと伝えられる。

城主は中島左衛門尉宣長を名乗り、子孫は歴代中島蔵人とも号した。

戦国時代中期以降、織田信長らにより落城したが領地を得た。

落城後、中島氏は豊臣秀吉の家臣となり、中島式部少輔氏重(のち中島氏種)は大坂城に移り大坂七手組頭に任じられた。

資料

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  • 中島城址碑(愛知県一宮市萩原町中島字北方北浦)
    • 「尾張ノ豪族中嶋氏ノ城址ナリ 中嶋氏ハ嵯峨源氏ノ末流 平安末期コノ地ヲ領シテ勢アリ 城主ノ子滅宗 妙興寺ヲ創建スルヤ百町歩ヲ寄進ス 城ハ室町末期廃サレ 一族全国ニ散在ス」一宮市長

関連項目

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