ローゼン (アパッチ族)
ローゼン(Lozen、1840年代? - 1887年?)は、アメリカインディアンのチリカウア・アパッチ族チヘンネ部族 (Chihenne band) の女性戦士・祈祷師。
略歴
[編集]チリカウア・アパッチ族の酋長ヴィクトリオ (Victorio) の妹。ローゼンの名前はヴィクトリオがつけたアパッチ語で「小さい妹」という意味の渾名である。アパッチ族では本名を口にするのはタブーであるため本名は不明である。
アパッチェリアのオホ・カリエンテ(現在のニューメキシコ州南西部)生まれ。子供のころから乗馬などを学び、男の子に混ざって荒野で遊ぶことを好んだ。13歳のころ、戦士となる道を選んだ。また同じころ、4日間断食して祈り、霊力を得たとされる。
1876年、アメリカ合衆国の騎兵隊が保留地(Reservation)として残されていたオホ・カリエンテに侵入し、アパッチ族の虐殺をおこなった。ローゼンは殺されそうになった甥(ヴィクトリオの息子)を救ったが、多くの同胞を失った。これ以降、連邦政府との関係は悪化し、チリカウア・アパッチ族はアリゾナへ強制移住させられたため、ヴィクトリオ、ローゼンらはオホ・カリエンテへ帰還、潜伏しゲリラ戦を開始した。
ビクトリオの作戦の後半、ローゼンはメキシコからチワワ砂漠を越えてメスカレロ・アパッチの居留地まで新生児と母親を護衛するためにバンドを離れた。[1] トレイルの苦難から離れて。
彼女はライフル、カートリッジベルト、ナイフ、3日分の食料だけを装備し、母子とともにメキシコ軍とアメリカ騎兵隊が占領する領域を通る危険な旅に出た。その途中、銃声が自分たちの存在を裏切ることを恐れた彼女は、ナイフを使ってテキサス・ロングホーン(牛)を殺し、肉のために屠殺した[1] 。
[1]彼女は新しい母親のためにメキシコ騎兵隊の馬を盗み、銃撃戦の中を逃げた。その後、彼女は自分のためにバケロの馬を盗み、彼が追いかける前に姿を消した。彼女はまた、兵士の鞍、ライフル、弾薬、毛布、水筒、そして彼のシャツまでも手に入れた。そして最後に、彼女は保留地まで荷物を届けた。
ローゼンはヴィクトリオたちのバンドの戦士の1人として戦う一方で、宗教的指導者としての役割も果たした。呪術によって、敵の動きを知ることができたとされる。また、騎兵隊から馬を盗むのが上手だった。
1880年、ヴィクトリオの部隊は大敗し、敗走中にメキシコ騎兵隊の追撃によって壊滅され、ヴィクトリオは戦死した。別の女性の出産の儀式のために偶然隊を離れていたローゼンは、わずかな生還者と共にもう一人のアパッチ族指導者であるジェロニモと合流し、戦いを続けた。
1886年、連邦政府側のアパッチ斥候の説得によって降伏。フロリダ州の収容所に送られた。その後、アラバマ州のマウンド・ヴァーノン収容所へ送られ、その地で結核で死亡した。
生涯独身だったが、宗教的理由ではなかったようである。
脚注
[編集]- ^ a b c Perdue, Theda (2001). Sifters: Native American Women's Lives. Oxford University Press. pp. 100–106. ISBN 978-0-19-803003-4
関連項目
[編集]関連書籍
[編集]- 『キュロテ 世界の偉大な15人の女性たち』訳:関澄かおる、DU BOOKS、2017年10月、ISBN 978-4-86647-018-4。