ロイ・ウェズリー・ヘンダーソン
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ロイ・ウェズリー・ヘンダーソン(Loy Wesley Henderson、1892年6月28日 - 1986年3月24日)は、アメリカ合衆国の国務官僚、外交官である。
生涯
[編集]アーカンソー州ベントン郡ロジャーズで出生。妻はラトビア人のエリーズ (Elise)。一卵性双生児の兄弟ロイ (Roy H. Henderson) がいたが、1920年に死去した。
第一次世界大戦時には、徴兵猶予を受けた。1915年、ノースウェスタン大学を卒業。のちデンヴァー大学に進んだ。
国務省入りしたのちは、駐イラク公使(1943年~1945年)、駐インド大使(1948年~1951年)、駐イラン大使(1951年~1954年)などを歴任した。
ギリシア内戦が進行していた頃に国務省近東・アフリカ局長を務め、トルーマン・ドクトリンをはじめとする初期冷戦外交に関わった。1960年の退官後は、アメリカン大学で国際関係論を教えた。
1986年、メリーランド州ベセスダにて死去。93歳。同年、回顧録『信頼という問題―米ソ外交関係の起源 ("A Question of Trust: the origins of U.S.-Soviet diplomatic relations") 』が出版された。
略年表
[編集]- 1892年 出生
- 1915年 ノースウェスタン大学を卒業
- 1918年 在仏米国赤十字社
- 1920年~1921年 在独米国赤十字社
- 1922年 国務省に入省。アイルランド副領事として赴任(~1924年)
- 1937年 第17回国際地理学会議米国代表
- 1942年 外交局検査官
- 1942年 在ソ米国大使館臨時顧問
- 1943年~1945年 駐イラク公使
- 1945年~1948年 近東・アフリカ局長
- 1948年~1951年 駐インド大使兼駐ネパール公使(ニューデリーに駐在)
- 1951年~1954年 駐イラン大使
- 1954年 国務次官補
- 1955年~1960年 行政担当国務次官代理
- 1956年8月 スエズ運河委員会委員
- 1959年1月 バグダード協定会議米国代表団団長
- 1960年 退官
- 1961年~1968年 アメリカン大学教授
- 1986年 死去
外部リンク
[編集]外交職 | ||
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先代 ヘンリー・グレイディ |
在インドアメリカ合衆国特命全権大使 1948年 - 1951年 |
次代 チェスター・ボールズ |
先代 ヘンリー・グレイディ |
在ネパールアメリカ合衆国特命全権公使 1948年 - 1951年 |
次代 チェスター・ボールズ |
先代 ヘンリー・グレイディ |
在イランアメリカ合衆国特命全権大使 1951年 - 1954年 |
次代 セルデン・チェーピン |