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ルキウス・アプスティウス・フッロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ルキウス・アプスティウス・フッロ
L. Apustius L.f. C.n. Fullo
出生 不明
死没 不明
出身階級 プレブス
氏族 アプスティウス氏族
官職 執政官(紀元前226年)
指揮した戦争 第二次ポエニ戦争
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ルキウス・アプスティウス・フッロラテン語: Lucius Apustius Fullo、生没年不詳)は紀元前3世紀中期から後期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前226年執政官(コンスル)を務めた。

出自

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プレブス(平民)であるアプスティウス氏族の出身。父のプラエノーメン(第一名、個人名)はルキウス、祖父はガイウスである[1]コグノーメン(第三名、家族名)の「フッロ」はラテン語で「歩く人」を意味し、おそらく一族の職業と関連していると思われる。

フッロは氏族としては唯一の執政官である。その後の数十年間、何人かのアプスティウス氏族の人物が歴史に登場している。紀元前196年法務官(プラエトル)ルキウス・アプスティウス・フッロは、おそらく息子である。第二次マケドニア戦争中の紀元前200年に執政官プブリウス・スルピキウス・ガルバ・マクシムスがルキウス・アプスティウスに軍の一部を率いさせたという記載がある[2]。彼は紀元前190年にリュキアの戦いで戦死している[3]。紀元前161年には、キュレネプトレマイオス8世への使節の一人にプブリウス・アプスティウスの名前がある[4]

経歴

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紀元前226年、フッロは執政官に就任。同僚執政官はマルクス・ウァレリウス・マクシムス・メッサッラであった[1]。但し、両者の執政官としての業績は不明である。

メッサッラと同様に、フッロも第二次ポエニ戦争に出征したと思われる。ティトゥス・リウィウスは、紀元前215年にタレントゥム(現在のターラント)を守備するレガトゥス(司令官)として、ルキウス・アプスティウスの名前を記録しているが、これはフッロのことと思われる[5]

脚注

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参考資料

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古代の資料

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研究書

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  • T. Robert S. Broughton : The Magistrates Of The Roman Republic. Volume 1: 509 BC - 100 BC (= Philological Monographs Vol. 15, Part 1, ZDB- ID 418575-4 ). American *Philological Association, New York NY 1951, p. 229, 256, (Unchanged reprint 1968).
  • Hans Georg Gundel : Apustius. In: The Little Pauly (KlP). Volume 1, Stuttgart 1964, Sp. 474.
  • Elimar Klebs : Apustius 4 . In: Pauly's Realencyclopadie der classischen Antientwissenschaften (RE). Volume II, 1, Stuttgart 1895, Sp. 291 f.

関連項目

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公職
先代
プブリウス・ウァレリウス・フラックス
マルクス・アティリウス・レグルス
執政官
同僚:マルクス・ウァレリウス・マクシムス・メッサッラ
紀元前226年
次代
ルキウス・アエミリウス・パプス
ガイウス・アティリウス・レグルス