ルキウス・アプスティウス・フッロ
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ルキウス・アプスティウス・フッロ L. Apustius L.f. C.n. Fullo | |
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出生 | 不明 |
死没 | 不明 |
出身階級 | プレブス |
氏族 | アプスティウス氏族 |
官職 | 執政官(紀元前226年) |
指揮した戦争 | 第二次ポエニ戦争 |
ルキウス・アプスティウス・フッロ(ラテン語: Lucius Apustius Fullo、生没年不詳)は紀元前3世紀中期から後期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前226年に執政官(コンスル)を務めた。
出自
[編集]プレブス(平民)であるアプスティウス氏族の出身。父のプラエノーメン(第一名、個人名)はルキウス、祖父はガイウスである[1]。コグノーメン(第三名、家族名)の「フッロ」はラテン語で「歩く人」を意味し、おそらく一族の職業と関連していると思われる。
フッロは氏族としては唯一の執政官である。その後の数十年間、何人かのアプスティウス氏族の人物が歴史に登場している。紀元前196年の法務官(プラエトル)ルキウス・アプスティウス・フッロは、おそらく息子である。第二次マケドニア戦争中の紀元前200年に執政官プブリウス・スルピキウス・ガルバ・マクシムスがルキウス・アプスティウスに軍の一部を率いさせたという記載がある[2]。彼は紀元前190年にリュキアの戦いで戦死している[3]。紀元前161年には、キュレネとプトレマイオス8世への使節の一人にプブリウス・アプスティウスの名前がある[4]。
経歴
[編集]紀元前226年、フッロは執政官に就任。同僚執政官はマルクス・ウァレリウス・マクシムス・メッサッラであった[1]。但し、両者の執政官としての業績は不明である。
メッサッラと同様に、フッロも第二次ポエニ戦争に出征したと思われる。ティトゥス・リウィウスは、紀元前215年にタレントゥム(現在のターラント)を守備するレガトゥス(司令官)として、ルキウス・アプスティウスの名前を記録しているが、これはフッロのことと思われる[5]。
脚注
[編集]参考資料
[編集]古代の資料
[編集]- カピトリヌスのファスティ
- ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』
- ポリュビオス『歴史』
研究書
[編集]- T. Robert S. Broughton : The Magistrates Of The Roman Republic. Volume 1: 509 BC - 100 BC (= Philological Monographs Vol. 15, Part 1, ZDB- ID 418575-4 ). American *Philological Association, New York NY 1951, p. 229, 256, (Unchanged reprint 1968).
- Hans Georg Gundel : Apustius. In: The Little Pauly (KlP). Volume 1, Stuttgart 1964, Sp. 474.
- Elimar Klebs : Apustius 4 . In: Pauly's Realencyclopadie der classischen Antientwissenschaften (RE). Volume II, 1, Stuttgart 1895, Sp. 291 f.
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 プブリウス・ウァレリウス・フラックス マルクス・アティリウス・レグルス |
執政官 同僚:マルクス・ウァレリウス・マクシムス・メッサッラ 紀元前226年 |
次代 ルキウス・アエミリウス・パプス、 ガイウス・アティリウス・レグルス |