ルイス・リカルド・ファレロ

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ルイス・リカルド・ファレーロ
自画像
本名 ルイス・リカルド・ファレーロ
誕生日 1851年
出生地 スペインの旗 スペイン王国グラナダ
死没年 1896年12月7日(45歳)
死没地 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドロンドン
国籍 スペイン
芸術分野 絵画
教育 パリ、ロンドン
代表作サバトに赴く魔女たち[1]
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ラブランサノ公爵ルイス・リカルド・ファレーロLuis Ricardo Falero1851年1896年12月7日)は、スペインの画家。彼は女性のヌードと神話オリエンタリズムファンタジーの絵画を専門的に描いた[2]。彼の最も一般的な技法は油彩である。

生涯[編集]

ファレーロはグラナダで生まれ、初めスペイン海軍のキャリアを追求したが、それを断念し、両親を失望させた。彼はパリで美術、化学、機械工学を学んだ。しかし、後者の2つの実験は危険が伴ったこともあり、一人で絵を描くことに専念した[3]。 彼はガブリエル・フェリエに師事した[4]。1879年から1885年の間に数回、サロン・ド・パリに出展し、その後、1887年にロンドンに移り、1889年から1893年までロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に何度か出展した。亡くなるまでロンドンで暮らした [2]

ファレーロは天文学に特に関心を持ち、『彗星の結婚』や『双子星』など、多くの作品に天体の星座を組み込んだ。彼の天文学への関心と知識は、カミーユ・フラマリオンの著作から影響を受けた[2]

1896年、彼の死去する年、モード・ハーヴィーは親子関係の認知についてファレーロを訴えた。この訴訟では、最初に家政婦として働いていて、次にモデルとなった17歳のハーヴィーが、ファレーロから誘惑されたと主張している。彼は彼女が妊娠したことを知り、彼女を解雇した。彼女は勝訴し、子供の養育費のために週に5シリングを受け取ることとなった[2]

ファレーロは45歳でロンドンの ユニヴァーシティ・カレッジ病院英語版で死去した。

ギャラリー[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ 中野京子『絵の中のモノ語り』KADOKAWA、2021年12月24日、51頁。ISBN 978-4041118863 
  2. ^ a b c d Luis Ricardo Falero biography at ArtMagick.com
  3. ^ European Orientalists Biography from Mezzo-Mondo.com
  4. ^ Ader Nordman Luis Ricardo Falero Grenade
  • Eduardo Dizy Caso (1997) Les orientalistes de l'École Espagnole. Paris: ACR Édition Internationale. pp.96-97

外部リンク[編集]

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