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ルイジ・プリモ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルイジ・プリモ
Luigi Primo
ルイジ・プリモ作とされる「カトリック教会の4人の教父」マドリード王宮
生誕 1606年以前
ニノーヴェ(Ninove)
死没 1667年
ブリュッセル
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ルイジ・プリモ作「アドニスの死を嘆くヴィーナス」(1655/1657)、美術史美術館

イタリア名、ルイジ・プリモとして知られたルイ・クーザン(Louis Cousin、別名:Luigi Primo または Luigi Gentile[1]、1606年以前の生まれ、1667年没)は、フランドルの画家である。1626年から30年以上ローマで働き、宗教的な題材の作品や歴史画、肖像画を描いた。

略歴

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現在のベルギー、オースト=フランデレン州のニノーヴェ(Ninove)近くの村で生まれたとされるが、ブリュッセル生まれである可能性もある[2] 。1617年にはブリュッセルの画家、Gillis Claeissins de Jongeのもとで学んだ[3] 。1670年代に、オランダ、ドイツの画家の伝記集を執筆した、ヨアヒム・フォン・ザンドラルトによれば、若いころに、フランドルを離れ[4]パリで修行を続けたとされ[5]ている。1626年にローマに移り、ローマのオランダやフランドル出身の画家達のグループ、「Bentvueghels」のメンバーとして活動し、お互いを仇名で呼び合う、彼らのなかで温和な性格から「Gentile」や「Gentile」と呼ばれた。フランドルでの姓、Cousinの原義が「いとこ」を表すことから、イタリア語でいとこを表すプリモをイタリアでの姓とした[6]。イタリアでは多くの巨匠の作品を学んだ。

ローマで、サンティ・ドメニコ・エ・シスト教会(Chiesa dei Santi Domenico e Sisto)の祭壇の装飾画で画家として知られるようになり、その後もいくつかの教会のために作品を描き名声を得て、高い報酬を得るようになったた。

1635年にローマにあるフランドルのカトリック教徒の同胞団(broederschap van Sint-Juliaan-der-Vlamingen)のメンバーに、「Ludovicus Cousin, alias Primo, alias Gentile」の名前で加入している。ローマの美術アカデミーのアカデミア・ディ・サン・ルカの会員に選ばれ、1651年から1年間、会長を務めた[4]

別の伝記を残した17世紀の画家、パッセーリ(Giovanni Battista Passeri: c.1610-1679)によれば、女好きの浪費家で、仕事に熱心でなく、稼いだ報酬を遊びに使ってしまったと伝えている[6]。そのため、ローマを離れ、ロレートに移り、ロレートの教会の祭壇の絵を描き、さらにペーザロで働き、ヴェネツィアに移り肖像画を描き、1655年にローマに戻った。

イタリアで、30年以上働いた後、ブリュッセルに戻り、1661年にブリュッセルの聖ルカ組合の会員になった。歴史画や肖像画を描き、ブリュッセルのタペストリー工房のタペストリーのデザインもした。フランドルを統治していた、スペイン・ハプスブルク家の王族からも多くの注文を受けた。

ブリュッセルで没した。浪費癖のため亡くなった後、殆ど財産を残さなかったとされる。弟子にはヤン・ファン・クレーフェ(Jan van Cleve: 1646-1716)らがいた[4]

作品

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脚注

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  1. ^ その他の別名にはLouis Primoや Lodewijk Cousin、 Luigi Cousin、 Louis Primo、 Lodovico Primo、"Ludovicus Cousin, alias Primo, alias Gentile"、"Louis Cousin genaamd Primo"があり、Gentiel や Gentileの仇名でもよばれた。
  2. ^ Biografische gegevens op Hadrianus
  3. ^ Biografische gegevens bij het RKD-Nederlands Instituut voor Kunstgeschiedenis
  4. ^ a b c Carl Van de Velde. "Primo, Luigi." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. 28 Nov. 2013
  5. ^ Ludovicus Primo in: Joachim von Sandrart, Teutsche Academie der Bau-, Bild- und Mahlerey-Künste, Nürnberg 1675/1679/1680
  6. ^ a b Luigi Gentile in: Giovanni Battista Passeri, Vite de pittori, scultori ed architetti che anno lavorato in Roma, Roma, 1772, blz. 249-253

参考文献

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  • van Puyvelde, Leo, Een Vlaams schilder te Rome in de XVIIde eeuw, Lodewijk Primo., Verslagen en mededelingen, Koninklijke Vlaamse Academie voor Taal- en Letterkunde, Gent, 1958