ラパッロ条約 (1920年)
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ラパッロ条約(1920年) | |
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署名 | 1920年11月12日 |
署名場所 | ラパッロ |
締約国 |
イタリア王国 セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(後のユーゴスラヴィア) |
主な内容 | アドリア海沿岸の国境調整 |
ラパッロ条約(ラパッロじょうやく、イタリア語: Trattato di Rapallo)、またはラパロ条約(ラパロじょうやく)[1]は、1920年11月12日[2]、イタリア王国とセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(後のユーゴスラヴィア王国、以下ユーゴスラヴィア)との間でイタリア・ジェノヴァ近郊のラパッロで締結された条約である。
イタリアのジョヴァンニ・ジョリッティ首相とユーゴスラヴィアのミレンコ・ヴェスニッチ首相によって調印。
概要
[編集]条約によれば、イタリアはイストリアをはじめザーラ/ザダル(Zara/Zadar)とケルソ島(Cherso、現在のツレス島)、ルッシーノ島(Lussino、現在のロシニ島)、ラゴスタ島(Lagosta、現在のラストヴォ島)、ペラゴーザ島(Pelagosa、現在のパラグルジャ島)などの島々を保有し、フィウーメ(現在のリエカ)はフィウーメ自由国になるはずだったが[3]、1924年1月27日に両国がローマ条約で確認した際にはフィウーメはイタリア領とされ[1]、ダルマティアの他の地域[4]やスシャク(Sušak)がユーゴスラヴィア領とされた。
Paul N. Hehnによると、ラパッロ条約により、「イタリア国内に50万人のスラヴ人が残されたが、新生ユーゴスラビア国内には数百人のイタリア人しかいなかった」という[2]。
脚注
[編集]- ^ a b 日本大百科全書. “ラパロ条約”. コトバンク. 2018年12月23日閲覧。
- ^ a b A Low Dishonest Decade by Paul N. Hehn; Chapter 2, Italy the Powers and Eastern Europe, 1918-1939. Mussolini, Prisoner of the Mediterranean
- ^ Foreign Policies of the Great Powers by Cedric James Lowe, Routledge, Taylor & Francis Group, F. Marzari, p.177-78
- ^ 世界大百科事典 第2版. “ラパロ条約”. コトバンク. 2018年12月23日閲覧。