ミテキ・クドー
ミテキ・クドー(Miteki Kudo、日: 工藤 美笛、1970年 - )は、フランスのバレエダンサーである。
経歴
[編集]1970年、パリの生まれ。父親が日本人(日本人舞踊家、工藤大貮)、母親がフランス人(パリ・オペラ座バレエ団のエトワールだったノエラ・ポントワ)である。
幼いころから父母の舞台を観ていた彼女は、7歳からバレエを始めた。バレエを始めることについて父は賛成したが、母は最初反対していた[1][2]。その後母も折れ、両親の考えによって1981年に、パリ・オペラ座バレエ学校に入学した[1]。その年のバレエ学校入学志望者は約800人いたが、彼女を含めて最終的に合格したのは12名のみだった[3]。バレエ学校では毎年試験があって、その成績が悪いと退学となってしまうため、バレエ学校の授業が終了した後も、パリ郊外にあった父のバレエ学校で夜9時半まで練習し、さらに土曜日も父と共に練習していた[4]。
1986年にバレエ学校を卒業し、パリ・オペラ座バレエ団に入団した[4]。1981年にバレエ学校に一緒に入学した12人の仲間のうち、パリ・オペラ座にダンサーとして採用されたのは彼女を含めて2名のみだった[4]。入団後キャリアを重ね、1997年、ピナ・バウシュ振付『春の祭典』のパリ・オペラ座初演では、「生贄」の役に抜擢された。この役柄は、彼女自身にクラシックバレエよりもコンテンポラリーダンスの方が自分の個性を発揮できることを気づかせ、クラシックバレエの踊り手からコンテンポラリーダンスの表現者への大きな転機を迎えることになった[5][6]。コンテンポラリーでは、勅使川原三郎、イリ・キリアン、マギー・マランなどの作品も踊っている[7]。2011年6月、引退。階級はスジェ。
日本では、資生堂のキャンペーンやネスレのCMなどに起用された経験がある[8][9][10]。バレエ公演でたびたび来日し、1993年1月に東京で開催された『ニューイヤー・エトワール・ガラ』では母ノエラ・ポントワと共演した。
バレエ団でしばしばパートナーを組んだ同僚、ジル・イゾアールとの間に2子あり[11][12][13]。新書館の雑誌「ダンスマガジン」の連載をまとめた『パリ・オペラ座のバレリーナ』(2007年)などの著書がある。
出演
[編集]映画
[編集]- エトワール(2000年)
脚注
[編集]- ^ a b 『パリ・オペラ座のバレリーナ』10-11頁。
- ^ 『オペラ座バレリーナのエコ・シックなパリ』8-10頁。
- ^ 『オペラ座バレリーナのエコ・シックなパリ』11頁。
- ^ a b c 『オペラ座バレリーナのエコ・シックなパリ』12頁。
- ^ 『パリ・オペラ座のバレリーナ』巻末インタビュー、164-166頁。
- ^ 『オペラ座バレリーナのエコ・シックなパリ』26頁。
- ^ 『パリ・オペラ座のバレリーナ』15頁。
- ^ 1989-1993 - NCM-化粧品・日用品・流通 2011年5月28日閲覧。
- ^ スーパークールズ資生堂CM80年代 2011年5月28日閲覧。
- ^ 新刊書籍「オペラ座バレリーナのエコ・シックなパリ」 フランス観光開発機構オフィシャルサイト 2011年5月28日閲覧。
- ^ 『パリ・オペラ座のバレリーナ』149-160頁。
- ^ 『パリ・オペラ座のバレリーナ』巻末インタビュー、170-179頁。
- ^ 『オペラ座バレリーナのエコ・シックなパリ』49-63頁。
参考文献
[編集]- ミテキ・クドー 『パリ・オペラ座のバレリーナ』 林修訳、新書館、2007年。 ISBN 978-4-403-32027-9
- ミテキ・クドー 『オペラ座バレリーナのエコ・シックなパリ』 朝日新聞出版、2009年。 ISBN 978-4-02-250655-9
外部リンク
[編集]- エトワール - 映画作品紹介 - 2011年5月28日閲覧。
- ぴあのピア|インタビュー ミテキ・クドー 2011年5月28日閲覧。