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ミクティベク・アブディルダイェフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミクティベク・アブディルダイェフ
Мыктыбек Юсупович Абдылдаев
Mıqtıbek Yusupoviç Abdıldayev
2015年のアブディルダイェフ
ジョゴルク・ケネシ議長
任期
2020年10月6日 – 2020年10月10日
大統領ソーロンバイ・ジェーンベコフ
前任者ダスタン・ジュマベコフキルギス語版英語版
後任者カナトベク・イサエフキルギス語版英語版
ジョゴルク・ケネシ議員
就任
2010年11月10日
アタ・ジュルト党党首
任期
2012年11月 – 2014年4月
キルギス検事総長
任期
2002年 – 2005年3月23日
キルギス・ソビエト社会主義共和国最高議会議員
任期
1990年2月25日 – 1990年
個人情報
生誕 (1953-08-17) 1953年8月17日(71歳)
政党
子供2
教育キルギス国立大学

ミクティベク・アブディルダイェフキルギス語: Мыктыбек Юсупович Абдылдаев, Mıqtıbek Yusupoviç (Yusop uulu) Abdıldayev1953年8月17日 – )は、キルギスタンの政治家である。2010年より同国議会ジョゴルク・ケネシ議員を務めている。民警中将、二等法務国家参議官。ジョゴルク・ケネシ議長、検事総長、内務相代行、大統領府長官等を歴任した。

ソビエト連邦時代

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1953年、ソビエト連邦キルギス・ソビエト社会主義共和国カラ・ジュィガチ村に生まれる[1]

1976年、キルギス国立大学文学部卒業[1]

1976年から1978年までフルンゼ市ソビエト貿易専門学校のコムソモール書記[2]

1978年から1982年までキルギス・コムソモールの中央委員会事務局副局長[2]

1982年から1983年までキルギス・コムソモールのイシク・クル州委員会書記[2]

1983年から1986年までイシク・クル州内務局政治課長。

1986年から1989年までソ連内務省アカデミーで法学を学んだ[2][3]

1989年から1990年までイシク・クル州内務局副局長[2]

1990年、キルギス・ソビエト社会主義共和国最高会議代議員に選出[2]。1991年まで最高会議立法適法性問題常任委員会副議長を務めた。

キルギス共和国時代

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1991年から1994年までイシク・クル州内務局長[3]

1994年から1997年までキルギス内務省次官[3]

1997年から2001年1月11日までキルギス内務省第一次官[3]

2001年から2002年までキルギス安全保障会議副書記、大統領附属国際戦略研究所長[3]

2002年1、大統領府国防・安全保障課主任[3]

2002年から2005年3月23日まで検事総長代行、検事総長[3]

2005年2月および3月に行われた議会選挙の結果に不正が疑われ、抗議行動が広がり、一部が暴徒化した[4]アスカル・アカエフは抗議活動を制御できなかったことを理由にアブディルダイェフを検事総長から解任した[5]。アカエフはまもなく国外へ脱出し新政権が誕生した(チューリップ革命)。

チューリップ革命後

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2005年3月25日、内務相代行に任命された[6]

2006年5月11日、クルマンベク・バキエフ大統領により、大統領府第一副長官に任ぜられ、5月17日、大統領府長官に就任した[3]フェリックス・クロフら敵対勢力によるバキエフの辞任を求める抗議運動が高まる中[7]、2007年4月13日辞任した[3]

2010年の政変ののち、2010年キルギス議会選挙英語版アタ・ジュルト党から立候補し当選[2]

2012年から2014年までアタ・ジュルト党の党首を務めた[2]

2015年のキルギス議会選挙英語版ビル・ボル党ロシア語版英語版から立候補し当選[8]

2020年10月6日、キルギス反政府運動により辞任したダスタン・ジュマベコフキルギス語版英語版に代わり議会議長に就任した[9]

パーソナル

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一等「クジュルモン・クィズマト・オトゴンドゥグ・ウチュン」メダルを受章[10]

法学科学準博士[2]

出典

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  1. ^ a b Мыктыбек Юсупович Абдылдаев”. stanradar.com. 2022年10月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i Абдылдаев Мыктыбек Юсупович | Жогорку Кенеш Кыргызской Республики”. web.archive.org. 2017年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i Абдылдаев Мыктыбек Юсупович” (ロシア語). K-News (2011年9月23日). 2022年10月10日閲覧。
  4. ^ チューリップ革命とは”. コトバンク. 2022年10月10日閲覧。
  5. ^ Revolution In Kyrgyzstan: A Timeline” (英語). RadioFreeEurope/RadioLiberty (2005年3月25日). 2022年10月10日閲覧。
  6. ^ Kyrgyzstan interim leader moves to halt disorder” (英語). The Washington Times (2005年3月25日). 2022年10月10日閲覧。
  7. ^ “Kyrgyz capital sees more protests” (英語). BBC. (2007年4月13日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6554183.stm 2022年10月10日閲覧。 
  8. ^ Список депутатов парламента Кыргызстана VI созыва (биографии)” (ロシア語). Kaktusmedia (2015年10月28日). 2022年10月10日閲覧。
  9. ^ “Myktybek Abdyldayev elected speaker of Kyrgyz parliament - agency”. TASS. (2020年10月7日). https://tass.com/world/1209411 2020年10月8日閲覧。 
  10. ^ Награжденный | Портал Государственных наград”. nagrada.srs.kg. 2022年10月10日閲覧。
先代
バキルディン・スバンベコフ
内務相代行
2005年
次代
シェルコジジャン・ミルザカリモフ