ベカ車

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ベカ車(ベカぐるま)は、江戸時代大坂で用いられた人力台車である。「輇車」と漢字表記されることがある。

概要[編集]

「ベカ車」の名称が現われるのは、安永年間である。

長さは2間ないし6、7尺で、幅は3尺余であり、大八車より狭かったが、これは大坂の道路の幅員が狭かったからである。前方で1、2本の綱を2、3人が引き、後方で1、2人が撞木を押し、これを「楫」といって進退を掌った。堅牢であったから、木石などの重量物を運搬するのに用いられた。

安永3年(1774年)9月、ベカ車の橋上通過が令を以って禁止された。橋梁を破損させるというのが理由であった。ベカ車が普及したため、上荷船、茶船への影響は決して小さくなく、寛政3年(1791年)に彼らの請願によって制限令が発せられ、その後もしばしば厳しい取締が行なわれたが、その効はなく、広く用いられた。

1858年5月11日(安政4年3月28日)、大坂城代が、ベカ車が増え、ウマ持ち渡世人などを圧迫しているとして、べか車の積載量などを制限した[1]。 ベカ車や大八車を引いて荷物を運搬する人々は「車力」「車引き」と呼ばれた。

脚注[編集]

  1. ^ 『大阪市史』4 大阪市参事会編