プロスペロー・フォンターナ
プロスペロー・フォンターナ Prospero Fontana | |
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Carlo Cesare Malvasiaの著書の肖像画 | |
生誕 |
1512年 ボローニャ |
死没 |
1597年 ローマ |
プロスペロー・フォンターナ(伊: Prospero Fontana, 1512年 ボローニャ - 1597年 ローマ)は、後期ルネサンスのイタリアの画家。
生涯
[編集]フォンターナはボローニャの生まれ。インノチェンツォ・ディ・ピエトロ・フランクッチ・ディ・イモラ(Innocenzo di Pietro Francucci da Imola)の弟子を務めた後、ジェノヴァのドリア宮でペリーノ・デル・ヴァーガのために働く。それから1550年にかけて、ミケランジェロがフォンターナを肖像画家としてローマ教皇ユリウス3世に紹介し、フォンターナは教皇宮廷で恩給を受けたと言われる。それからフィレンツェのジョルジョ・ヴァザーリの工房に加わり、1563年から1565年にかけてヴェッキオ宮殿でフレスコ画を制作した。フォンターナはボローニャ派初期の代表的画家だった。ロレンツォ・サバッティーニ(Lorenzo Sabbatini)、オラツィオ・サマチーニ(Orazio Sammachini)、バルトロメオ・パッサロッティ(Bartolomeo Passarotti)の3人はフォンターナの弟子もしくは同僚である。娘のラヴィニア・フォンターナも著名な宗教画家である。
ボローニャに戻って、フランスのフォンテーヌブローとジェノヴァで仕事をした後、フォンターナは美術学校を開校した。短い間だが、ルドヴィコ・カラッチとアゴスティーノ・カラッチを教えたこともある。ボローニャではたくさんの作品を残した。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(Santa Maria delle Grazie)の祭壇画『東方三博士の礼拝』がフォンターナの最高傑作と考えられているが、それはパオロ・ヴェロネーゼのスタイルとはまったく違うものである。
1597年、ローマで亡くなった。
作品
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洗礼者ヨハネと聖家族
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『東方三博士の礼拝』
参考文献
[編集]- この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Fontana, Prospero". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 10 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 607-608.