アゴスティーノ・カラッチ

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アゴスティーノ・カラッチ
Agostino Carracci
自画像
誕生日 1557年8月16日
出生地 ボローニャ
死没年 1602年3月22日
死没地 パルマ
運動・動向 ボローニャ派
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ワシントンのナショナルギャラリーに飾られているHead of a Faun (1595年) 181 x 187 mm
ボローニャ美術館のThe Communion of St. Jerome (1592)

アゴスティーノ・カラッチ(Agostino Carracci、1557年8月16日 - 1602年3月22日[1])は、イタリア画家版画家。同じく画家であるアンニーバレ・カラッチの兄であり、ルドヴィーコ・カラッチの従兄弟である。

理想の自然を仮定し、弟らとともに、カラヴァッジオのような自然の表現を目指したボローニャ派と呼ばれる絵画のスタイルを創設した。

人生[編集]

カラッチはボローニャで生まれ、建築家としての教育を受けた。1574年から、エングレービングの製作を始め、フェデリコ・バロッチティントレットアントニオ・カンピパオロ・ヴェロネーゼコレッジョら16世紀の画家の模写を描いた。またこの時期、2つエッチングを含む新作も描いた。

カラッチは1586年から1587年までパルマ、1587年から1589年までヴェネツィアを旅した。また、ボローニャに戻るとアンニーバレ、ルドヴィーコとともにPalazzo FavaやPalazzo Magnaniの壁面にフレスコ画を描いた。また1592年には、現在ボローニャ美術館に収められている『Communion of St. Jerome 』という作品を描いたが、これは彼の最高傑作とみなされている。1586年からは、現在パルマの国立美術館に収められている祭壇画『Madonna with Child and Saints 』の製作に取り掛かった。

1598年、カラッチは弟とともにローマでファルネーゼ宮の装飾に取り組んだ。1598年から1600年までは、現在ナポリにある風俗画triple Portraitを製作した。

1600年、パルマ公ラヌッチョ1世からパルマに召還され、Palazzo del Giardinoの装飾を行ったが、完成を待たずに亡くなった。

1583年にヴェネツィアで生まれた息子のアントニオ・カラッチもまた画家であり、ボローニャ派の画家になった。

作品[編集]

  • Head of a Faun in a Concave (drawing in roundel, c. 1595, National Gallery of Art, Washington DC)
  • The Penitent Magdalen (Private collection)
  • The Annunciation , Musee du Louvre, Paris [1]
  • The Lamentation , Hermitage, St. Petersburg[2][リンク切れ]
  • イ・モーディ - オリジナルの銅版画は失われたがカラッチにより再現された

脚注[編集]