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フィリピン・コモンウェルス亡命政府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フィリピン・コモンウェルス亡命政府
Government of the Commonwealth of the Philippines in exile(英語)
Gobierno de la Commonwealth de Filipinas en el exilio(スペイン語)
Pámahalaáng Kómonwélt ng Pilipinas sa pagpapatapón(タガログ語)
フィリピン・コモンウェルス 1942年 - 1945年 フィリピン・コモンウェルス
フィリピンの国旗 フィリピンの国章
国旗国章
言語 英語
スペイン語
タガログ語
フィリピン語群
首都 メルボルン
(1942年)

ワシントンD.C.
(1942年 - 1944年)

タクロバン
(1944年 ‐ 1945年)
大統領
1942年 - 1944年マニュエル・ケソン
1944年 - 1945年セルヒオ・オスメニャ
高等弁務官
1942年 - 1945年 ハロルド・L・イケス
副大統領
1942年 - 1944年セルヒオ・オスメニャ
1944年 - 1945年空位
変遷
日本による侵攻 1941年12月8日
日本による占領1942年1月3日
フィリピンからの避難1942年3月12日
フィリピンへの帰国1944年10月20日
復旧1945年2月27日
日本の降伏1945年8月15日

フィリピン・コモンウェルス亡命政府(フィリピン・コモンウェルスぼうめいせいふ、英語: Government of the Commonwealth of the Philippines in exileスペイン語: Gobierno de la Commonwealth de Filipinas en el exilio)は、アメリカ合衆国によるフィリピンの独立準備政府、フィリピン・コモンウェルス亡命政府である。

解説

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1941年日本による侵攻を受け、本土を追われたフィリピン・コモンウェルスはオーストラリアメルボルンへと避難し、その後アメリカのワシントンD.C.に拠点を移した[1]

1944年に、フィリピンの戦い連合国側が勝利し、大日本帝国はフィリピンから追放され、その日本の傀儡国家であるフィリピン第二共和国が廃止されたことで、フィリピン・コモンウェルスは活動を再開した。

背景

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脚注

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  1. ^ Talmon, Stefan (1998). Recognition of Governments in International Law: With Particular Reference to Governments in Exile. Clarendon Press. p. 295. ISBN 978-0-19-826573-3. https://books.google.com/books?id=scc8EboiJX8C 

参考文献

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関連文献

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