コンテンツにスキップ

ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテス (シウダー・レアル県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Villanueva de los Infantes

{{{市旗説明}}}   {{{市章説明}}}

 カスティーリャ=ラ・マンチャ州
 シウダ・レアル県
司法管轄区 ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテス
面積 135.06 km²
標高 880m
人口 5,727 人 (2012年)[1]
人口密度 42.4 人/km²
住民呼称 infanteño/-a
自治体首長
(2011年)
ガビーノ・マルコ・ソレーラ(PP
守護聖人 Ntra. Sra. La Virgen de La Antigua、
Sto. Tomás de Villanueva.
Villanueva de los Infantesの位置(スペイン内)
Villanueva de los Infantes
Villanueva de los Infantes
スペイン内ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスの位置
Villanueva de los Infantesの位置(シウダー・レアル県内)
Villanueva de los Infantes
Villanueva de los Infantes
シウダ・レアル県内ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスの位置

北緯38度44分 西経3度01分 / 北緯38.733度 西経3.017度 / 38.733; -3.017座標: 北緯38度44分 西経3度01分 / 北緯38.733度 西経3.017度 / 38.733; -3.017
ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテス公式サイト

ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスVillanueva de los Infantes)は、スペインカスティーリャ=ラ・マンチャ州シウダー・レアル県ムニシピオ(基礎自治体)。カンポ・デ・モンティエル地区(Campo de Montiel)の中心自治体である。

地理

[編集]

人口

[編集]
ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスの人口推移 1900-2010
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[2]、1996年 - [3]

歴史

[編集]

ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスの領域にイベリア系オレタニア人(Oretano)や、ローマ帝国前期や後期にはローマ人が居住していた多くの証拠が残されている。しかし、ローマ帝国末期から中世初期については何も残されていない。

村落としてのビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスはラ・モラレッハ、ハミーラ、エル・カスティージョ・デ・ペニャフロールの住民たちによってはじまったと考えられている。

ラ・モラレッハはモンティエルに属していた集落で、サンティアゴ騎士団長でアラゴン王国の王子(Infante)のドン・エンリーケ・デ・トラスタマラ(Enrique de Trastámara)によって特権を与えられ、1421年2月10日に独立、村となった。このときエンリーケ・デ・トラスタマラは特権とともに村に名を与えている。与えた名はビジャヌエバ・デル・インファンテ(Villanueva del Infante、王子の新しい村の意、王子とはエンリーケ・デ・トラスタマラのこと)であるが、エンリーケ・デ・トラスタマラの敵たちは、その名を認めなかった。1480年騎士団長アロンソ・デ・カルデナスは論争を終えらせるために、ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテス(王子たちの新しい村)という名称で呼ぶように通達を出した。この「王子たち」とはエンリーケ・デ・トラスタマラと彼の兄弟たちを暗示している。

ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスはその人口も増え、1573年スペイン王フェリーペ2世によってカンポ・デ・モンティエル地区(Campo de Montiel)の首都に宣せられ、地区政府と小教区が設けられた。そして、トマス・デ・ビジャヌエバ(Tomás de Villanueva)、バルトロメ・ヒメネス・パトン(Bartolomé Jiménez Patón)やフランシスコ・デ・ケベードミゲル・デ・セルバンテスロペ・デ・ベガなどによってビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスは文化的、精神的な街として知られるようになった。

スペイン独立戦争では、1810年1月1日から2年近くもの間フランス軍に占領された。1812年7月25日ラ・マンチャ県Provincia de La Mancha)地方評議会(Junta)はマジョール広場にてスペイン初の憲法であるスペイン1812年憲法への宣誓を行った。

1834年には地区政府が、そして1875年には小教区が廃止されると人口が減少し始めた。1895年摂政マリア・クリスティーナによって市の称号(el título de ciudad)が与えられた。そして1974年には歴史的美術的保存地区(Conjunto Histórico-Artístico)に指定された。

政治

[編集]

自治体首長はカスティーリャ=ラ・マンチャ国民党(Partido Popular de Castilla-La Mancha、PPCLM)のガビーノ・マルコ・ソレーラ(Gabino Marco Solera)[4]で、自治体評議員は、カスティーリャ=ラ・マンチャ国民党:7、カスティーリャ=ラ・マンチャ社会党Partido Socialista de Castilla-La Mancha、PSCM-PSOE):6となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[5]

1999年6月13日自治体選挙[6]
政党 得票数 得票率 獲得議席
PSOE 1,330 37.60% 6
PP 1,079 30.51% 4
ICI[7] 745 21.06% 3
IU[8] 186 5.26% 0
APIN[9] 163 4.61% 0
2003年5月25日自治体選挙[6]
政党 得票数 得票率 獲得議席
PSOE 2,029 58.91% 8
PP 884 25.67% 3
ICI 456 13.24% 2
2007年5月27日自治体選挙[6]
政党 得票数 得票率 獲得議席
PP 1,751 54.36% 7
PSOE 1,385 43.00% 6
2011年5月22日自治体選挙[5]
政党 得票数 得票率 獲得議席
PP 1,680 52.68% 7
PSOE 1,421 44.56% 6

司法行政

[編集]

ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスはビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテス司法管轄区に属し、同管轄区の中心自治体である[10]

名所・史跡

[編集]

ドン・キホーテ』の作者ミゲル・デ・セルバンテスはドン・キホーテの故郷のモデルとなった村を明確にしておらず、シウダー・レアル県アルガマシーリャ・デ・アルバスペイン語版が有力であるとされていた[11]。しかし、マドリード・コンプルテンセ大学を中心とする研究グループは、会話に登場する場所や登場人物の歩行速度などを詳細に分析し、2004年12月にビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスがモデルであるとする新説を打ち出した[11]。ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテスの観光客は急増し、2005年には最初の3か月間だけで前年の総観光客数4万人を上回った[11]。2005年には中央広場にドン・キホーテと従者サンチョ・パンサの銅像が設置され、観光客向けの記念撮影スポットとなっている[11]

脚注

[編集]
  1. ^ Población, superficie y densidad por municipios” (スペイン語). INE(スペイン国立統計局). 2013年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月30日閲覧。
  2. ^ Poblaciones de hecho desde 1900 hasta 1991. Cifras oficiales de los Censos respectivos.
  3. ^ Cifras oficiales de población resultantes de la revisión del Padrón municipal a 1 de enero.
  4. ^ Alcaldes Elecciones 2011” (スペイン語). Gobierno de España, Ministerio de Política Territorial y Administración Pública. 2011年11月9日閲覧。
  5. ^ a b スペイン内務省 2011年地方選挙結果” (スペイン語). スペイン政府 内務省. 2011年11月9日閲覧。
  6. ^ a b c スペイン内務省 地方選挙結果(過去)” (スペイン語). スペイン政府 内務省. 2011年11月9日閲覧。
  7. ^ ICIはIniciativa Ciudadana de Infantes(インファンテ市民イニシアティブ)、ローカル政党。
  8. ^ IUはIzquierda Unida(統一左翼)の地域支部政党。
  9. ^ APINはAgrupación Progresista Independiente(進歩主義独立グループ)。
  10. ^ Villanueva de los Infantes, partido judicial nº6 de Ciudad Real” (スペイン語). Consejo General de los Procuradores de España. 2011年11月9日閲覧。
  11. ^ a b c d 篠田有史 写真・工藤律子 文『ドン・キホーテの世界をゆく』論創社, 2009年, pp.9-12

外部リンク

[編集]