ノート:ビルマの戦い

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ビルマの戦いの項目に創作物である『ビルマの竪琴』への評価を載せることの妥当性について[編集]

『影響』の項目で、「日本人は嵐のようにビルマへやってきて嵐のように去っていったが、ビルマを真に理解したかは疑わしい。」とあり、ビルマの竪琴の内容への評価が述べられています。しかし、「ビルマに行ったことがない」竹山の創作の内容を「ビルマへやってきて嵐のように去っていった日本人が、ビルマを真に理解したかは疑わしい」ことの論証とするには無理があります。

そもそも、『ビルマの竪琴』の内容の矛盾点や批判・評価や出版の背景などは『ビルマの竪琴』の項目で述べることが妥当なのではないでしょうか。--彩華1226 2008年2月18日 (月) 15:11 (UTC)[返信]

  • (コメント)この部分の引用元の『「ビルマの竪琴」をめぐる戦後史』をご覧になった上でのコメントかどうかはわかりませんが、引用元の書名は『「ビルマの竪琴」をめぐる戦後史』であり題名通りの歴史書です。『「ビルマの竪琴」をめぐる戦後史』でも述べられているように、『ビルマの竪琴』なる空想物が戦後間もない日本で異論もなく受け入れられたという事実は、当時の日本人のビルマに対する理解の程度を表すものであり、この戦役に対する日本人の態度・姿勢を記述する上では不可欠の要素であると思われます。記事本文が単なる『ビルマの竪琴』の書評のように読めるのであれば、記事執筆者の不手際だと思われますから、『「ビルマの竪琴」をめぐる戦後史』を参照された上で加筆されれば良いのではないかと思います。--Cave cattum 2008年2月19日 (火) 00:16 (UTC)[返信]
  • 馬場氏が主張している、指摘しているということなのですね。そうであれば、適切な記述に変更する必要があります。--彩華1226 2008年2月21日 (木) 07:42 (UTC)[返信]

昔の議論に水を差すようで申し訳ないですが、そもそも、哲学・歴史関係で有名なのは『アーロン収容所』でしょう。あれは著者の実体験記であり(本人の前書きでは戦記と言ってます)、創作性はありませんし。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年11月10日 (水) 11:44 (UTC)[返信]

疫病について[編集]

何冊かビルマ戦線関連の本を読んでみて気づいたことがあります。一般にあの熱帯地方の疫病といえばまずはマラリアですが、本作戦やビルマ戦線だと他にも幾つか出て来ますね。

等。こうした疫病に対する両軍の対策について、一節設けて記述しても良い様な気がします。

例えば、上村喜代治氏の『インパール』P355にはペストについて、日本陸軍ではビルマに入国した段階で全将兵に予防注射を実施していた旨の記述があります。一方で、マラリアについては日本軍は有効な対策を打たなかったが連合軍は致死性マラリアを根絶させた旨厚生省防疫研究所のサイトにも記述がありますし、戦中戦中戦後で両軍の比較が可能な手記もあります。ビルマのマラリアの特徴について触れたものもあります。軍医の書かれた戦記もあります。

他に、すぐ書名が出てこないですが、ビルマ本の何かでメキシコから薬剤の原料輸入が不可能になって士官以上だけに予防接種となった疫病もあったかと。防疫給水部の記事もありますし、一般論として日本レイヨン社史の5P のような話もありますし、ここのP307で脚気についてもどうして罹患したのかの説明が出てきます。戦場と後方の給水状況や衛生状態の問題もありますので、分散させるよりはどこかで纏めた方がいいと考えます。ビルマの戦いの他に向いている記事があるかもしれませんので、場所は検討します。

岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年10月31日 (日) 11:41 (UTC)[返信]