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ニコラウ・ドス・レイス・ロバト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニコラウ・ロバト
Nicolau Lobato


任期 1975年12月7日1978年12月31日

東ティモールの旗 東ティモール民主共和国
初代首相
任期 1975年11月28日 – 1975年12月7日

出生 (1946-05-24) 1946年5月24日
ポルトガルの旗 ポルトガル領ティモールソイバダ英語版
死去 (1978-12-31) 1978年12月31日(32歳没)
インドネシアの旗 インドネシア東ティモール ミンデロ山
政党 東ティモール独立革命戦線
配偶者 イザベル・バレット・ロバト英語版

ニコラウ・ドス・レイス・ロバトポルトガル語: Nicolau dos Reis Lobato, 1946年5月24日 - 1978年12月31日)は、東ティモール政治家。同国第2代大統領、初代首相を務めた。

経歴

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1946年5月24日ポルトガル領ティモールソイバダ英語版にてナルシソ・ロバトとフェリスミナ・アルベスの息子として誕生する。ロバトは1975年11月28日から12月7日まで東ティモール民主共和国の初代首相を務めた。

インドネシアによる東ティモール侵攻を受け、ロバトは他の主要な東ティモール独立革命戦線指導者とともに東ティモールの内陸部に逃げ込み、占領軍と戦った。1978年の最終日、ロバトはミンデロ山でプラボウォ・スビアント中尉率いるインドネシアの特殊部隊に待ち伏せされた[1][2]。ロバトは1978年12月31日に腹を撃たれて死亡し、遺体はディリに運ばれてインドネシアの報道陣に検視された。

その後、ロバトの遺体がどうなったかは不明だが、東ティモール政府は遺体を適切に埋葬できるよう、インドネシア政府との間でこの問題の追及を続けている[3]。東ティモールの主要空港は、ロバトに敬意を表してプレジデンテ・ニコラウ・ロバト国際空港と改名された。

脚注

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