ニコライ・シモニャク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ニコライ・パヴロヴィッチ・シモニャクロシア語: Николай Павлович Симоняк, 1901年2月4日 - 1956年4月23日)は、ソ連軍人。中将。ソ連邦英雄

経歴[編集]

テミジベクスカヤ村(現クラスノダール地方)出身。

1918年から赤軍ロシア内戦時、兵卒として白軍と戦う。1920年から共産党員。1922年、指揮課程を修了し、小隊長、騎兵中隊長補佐、1926年から騎兵中隊長を歴任。1929年、騎兵指揮要員完全化課程、1936年、M.V.フルンゼ名称軍事アカデミーを卒業し、騎兵師団参謀部に勤務。後にレニングラード軍管区軍事会議附属監督部会次長兼歩兵監察官先任補佐となる。

1940年12月、第8独立狙撃旅団長となり、独ソ戦を迎える。1942年3月、第136狙撃師団(1943年1月から第63親衛狙撃師団)長。師団の賢明な統制と個人的勇気に対して、ソ連邦英雄称号を授与される。1943年4月から第30親衛狙撃軍団長、1944年10月から第3打撃軍司令官、1945年3月から終戦まで第67軍司令官。

戦後、親衛狙撃軍団を指揮。1948年、病気のため退役。

ソ連邦英雄(1943年)、レーニン勲章3個、赤旗勲章3個、一等スヴォーロフ勲章、一等クトゥーゾフ勲章、二等スヴォーロフ勲章、赤星勲章を受章。