ソ・チン・アン
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2020年のソ・チン・アン | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | タウケイ (ボスの意) | |||||
カタカナ | ソ・チン・アン | |||||
ラテン文字 | Soh Chin Aun | |||||
中国語 | 蘇進安 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | マレーシア | |||||
生年月日 | 1950年7月28日(74歳) | |||||
出身地 | ムラカ州アロー・ガジャ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1971-1978 | セランゴールFC | 345 | (5) | |||
1979-1985 | マラッカ・ユナイテッドFC | 37 | (1) | |||
代表歴 | ||||||
1969-1984 | マレーシア | 219 | (13) | |||
監督歴 | ||||||
1989 | マラッカ・ユナイテッドFC | |||||
2007 | マレーシアU-23 | |||||
2008-2009 | マレーシア代表 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ダトー・ソ・チン・アン(Datuk Soh Chin Aun、簡体字: 苏 進安; 繁体字: 蘇進安; 拼音: Sū Jìn'ān、1950年7月28日 - )は、マレーシア・ムラカ州アロー・ガジャ出身の元サッカー選手。元サッカー指導者。元マレーシア代表。現役時代のポジションはDF。通称"マレーの赤鬼"。
来歴
[編集]1971年、チーム最年少の21歳でオリンピックアジア予選の代表メンバーに参加した。代表チームは、1972年のミュンヘンオリンピックに出場した。
1980年モスクワオリンピック予選では、代表チームのキャプテンを務めた。チームは予選を通過出来なかったものの、チームへの貢献から、マレーシアの国王から「Ahli Mangku Negara (A.M.N.)」を受賞した。
エピソード
[編集]- マレーシア代表の最多出場記録保持者(219試合)である。
- 2014年9月、FourFourTwoが選ぶ歴代マレーシア人選手TOP25の歴代4位に選ばれる[1]。
- 2014年11月、AFC初代殿堂入りを果たした[2]。
所属クラブ
[編集]- 1971年 - 1978年 セランゴールFC
- 1979年 - 1985年 マラッカ・ユナイテッドFC
代表歴
[編集]チーム | 年 | 試合 | 得点 |
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マレーシア代表 | 1969 | 3 | 0 |
1970 | 12 | 0 | |
1971 | 19 | 1 | |
1972 | 16 | 3 | |
1973 | 20 | 1 | |
1974 | 12 | 0 | |
1975 | 19 | 0 | |
1976 | 16 | 2 | |
1977 | 17 | 1 | |
1978 | 16 | 0 | |
1979 | 17 | 1 | |
1980 | 19 | 1 | |
1981 | 8 | 1 | |
1983 | 8 | 1 | |
1984 | 17 | 1 | |
通算 | 219 | 13 |
脚注
[編集]- ^ FourFourTwo's Top 25 Malaysian Players of All Time
- ^ 「AFC初代殿堂入り10名に奥寺氏、澤、キューウェル氏らが選出」サッカーキング2014年11月22日
- ^ “Soh Chin Ann – Double Century of International Appearances”. RSSSF. 30 June 2021閲覧。