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スティヨソ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スティヨソ
Sutiyoso
2013年のスティヨソ
生年月日 (1944-01-26) 1944年1月26日(80歳)
出生地 大日本帝国の旗 日本占領時期のインドネシアスマラン
出身校 インドネシア陸軍士官学校英語版
前職 軍人
現職 政治家
所属政党 国民民主党
称号 中将
配偶者 セティオリニ

国家情報庁
第15代長官
在任期間 2015年7月8日 - 2016年9月9日
大統領 ジョコ・ウィドド

ジャカルタ特別州
第9代知事
在任期間 1997年10月6日 - 2007年10月7日
大統領 スハルト
ユスフ・ハビビ
アブドゥルラフマン・ワヒド
メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリ
スシロ・バンバン・ユドヨノ

コダム・ジャヤカルタ第13代司令官
在任期間 1996年 - 1997年
大統領 スハルト
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スティヨソインドネシア語: Sutiyoso, 1944年1月26日 - )は、インドネシア政治家、元軍人。同国国家情報庁第15代長官、ジャカルタ特別州第9代知事を務めた。

経歴

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1944年1月26日日本占領時期のインドネシアスマランにて誕生する。インドネシア陸軍士官学校英語版卒業、1968年から1997年までインドネシア陸軍に所属し、1996年からはコダム・ジャヤカルタ英語版第13代司令官を務めた。1997年から2007年までの激動の政治時代には、首都ジャカルタ特別州第9代知事も務めた。スティヨソは、2000年初頭にジャカルタのバス高速輸送システム「トランスジャカルタ」の導入を支援したことで知られている[1]。ジャカルタでは、より良い公共交通機関の整備が強く求められており、トランスジャカルタの導入は重要な取り組みであると広く認識されていた。しかし、トランスジャカルタがうまく機能するようにするのは容易ではないことが判明しており、現在のところその手配は複雑な成功を収めていると見なされている。スティヨソは、2004年から2008年までインドネシアバドミントン協会英語版会長も務め[2]2009年2014年の選挙でインドネシア大統領選に立候補することを表明したが、指名を勝ち取るのに十分な支持を得ることができなかった。2010年から2015年にかけてはインドネシア正義団結党党首を、2015年7月8日から2016年9月9日まで国家情報庁第15代長官を務めた[3]

脚注

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