ジョージ・ヘイスティングズ (第8代ハンティンドン伯爵)
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第8代ハンティンドン伯爵ジョージ・ヘイスティングズ(英語: George Hastings, 8th Earl of Huntingdon、1677年3月22日 – 1705年2月22日)は、イングランド貴族。1677年から1701年までヘイスティングズ卿の儀礼称号を使用した。
生涯
[編集]セオフィラス・ヘイスティングズとエリザベス・ルイス(Elizabeth Lewis)の次男(長男トマスは1675年に夭折)として、1677年3月22日に生まれた[1]。1693年4月8日、オックスフォード大学ウォダム・カレッジに入学した[2]。
1697年から1702年まで近衛歩兵第1連隊で中佐として従軍、1702年にマールバラ公爵の下で志願兵としてスペイン継承戦争に参戦、フェンロー包囲戦とルールモント包囲戦で戦功をあげた[1]。また、ハンティンドン連隊の隊長を務めた[1](任期:1702年 – 1703年)。
1701年5月30日に父が死去すると、ハンティンドン伯爵の爵位を継承した[3]。
1702年4月23日のアン女王戴冠式で王笏を持つ役割を務めた[3]。
1705年2月22日に死去、生涯未婚だったため異母弟セオフィラスが爵位を継承した[3]。死後、ウェストミンスターで埋葬された[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d Cokayne, George Edward, ed. (1892). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (G to K) (英語). Vol. 4 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 291.
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). "Harmar-Hawtayne". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 652–678.
- ^ a b c Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1053.
軍職 | ||
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新設連隊 | ハンティンドン連隊長 1702年 – 1703年 |
次代 ヘンリー・レイ |
イングランドの爵位 | ||
先代 セオフィラス・ヘイスティングズ |
ハンティンドン伯爵 1701年 – 1705年 |
次代 セオフィラス・ヘイスティングズ |