ジェーン・エリザベス・レズリー (第12代ロシズ女伯爵)
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第12代ロシズ女伯爵ジェーン・エリザベス・レズリー(英語: Jane Elizabeth Leslie, 12th Countess of Rothes、1750年5月5日 – 1810年6月2日)は、スコットランド貴族。
生涯
[編集]第10代ロシズ伯爵ジョン・レズリーと1人目の妻ハンナ(Hannah、旧姓ハワード、1761年4月26日没、マシュー・ハワードの娘)の娘として、1750年5月5日に生まれた[1]。
1766年1月2日、ロンドンでジョージ・レイモンド・エヴリン(George Raymond Evelyn、1770年12月23日没、ウィリアム・エヴリンの三男[1])と結婚、3男をもうけたが、うち2男が夭折した[2]。
- ジョージ・ウィリアム(1768年3月28日 – 1817年2月11日) - 第13代ロシズ伯爵[1]
1772年10月30日、ブライトンで医者の初代準男爵サー・ルーカス・ピープス(1742年ごろ – 1830年6月17日)と再婚[1]、2男1女をもうけた[2]。
- チャールズ(1774年9月28日 – 1833年2月4日) - 第2代準男爵、生涯未婚[3]
- ハリエット・レズリー(1777年6月1日 – 1839年12月16日) - 1804年11月29日、第10代デヴォン伯爵ウィリアム・コートネイと結婚、子供あり[4]
- ヘンリー(1783年9月21日 – 1849年7月8日) - 第3代準男爵。1816年2月15日、エリザベス・ジェーン・オークス(Elizabeth Jane Oakes、1816年12月12日没、ジェームズ・レイ・オークスの娘)と結婚、子供なし[3]
1773年6月18日に兄ジョンが死去すると、ロシズ伯爵位を継承した[1]。これに対し、叔父アンドルー(1712年8月4日 – 1776年8月27日 ハディントン)が男子相続人(heirs male)として異議を唱えたが、スコットランド民事控訴院はジェーン・エリザベスによる相続を認める判決を下し、グレートブリテン貴族院も1774年5月10日に同様の決定を下した[2]。1775年6月27日、兄の遺産継承者として正式に認定された[1][2]。
1810年6月2日にメイフェアのアッパー・ブルック・ストリートにある夫の邸宅で死去、息子ジョージ・ウィリアムが爵位を継承した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1949). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Rickerton to Sisonby) (英語). Vol. 11 (2nd ed.). London: The St Catherine Press. pp. 204–205.
- ^ a b c d Paul, James Balfour, Sir, ed. (1910). The Scots Peerage (英語). Vol. VII. Edinburgh: David Douglas. pp. 305–307.
- ^ a b Cokayne, George Edward, ed. (1906). The Complete Baronetage (1707–1800) (英語). Vol. 5. Exeter: William Pollard & Co. p. 243.
- ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 337.
スコットランドの爵位 | ||
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先代 ジョン・レズリー |
ロシズ女伯爵 1773年 – 1810年 |
次代 ジョージ・エヴリン=レズリー |