シーヒーロー
シーヒーロー | |
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サラトガ競馬場のシーヒーロー像 | |
欧字表記 | Sea Hero |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1990年3月4日[1][2] |
死没 | 2019年6月12日[1][3] |
父 | Polish Navy |
母 | Glowing Tribute |
母の父 | Graustark |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 | Paul Mellon[1][2] |
馬主 | Rokeby Stable (Paul Mellon)[1][2] |
調教師 | MacKenzie L. Miller[1][2] |
競走成績 | |
生涯成績 | 24戦6勝[1][2] |
獲得賞金 | 2,929,869ドル[1][2] |
シーヒーロー(Sea Hero, 1990年3月4日 - 2019年6月12日)はアメリカ合衆国の競走馬・種牡馬。1993年のケンタッキーダービーに優勝した。
経歴
[編集]オーナーブリーダーのポール・メロンが生産したサラブレッドの牡馬である。メロンは84歳の時に自身の持つ競馬資産の多くを処分したが、シーヒーローは手放さず自身の所有するロークバイステーブル名義で競走馬とし、マッケンジー・ミラー調教師に預けられた[1]。シーヒーローは気性が荒く、ハミの上に舌を乗せる癖があったので、ミラーはその改善のために馬具をいろいろ試していたという[4]。
シーヒーローは1992年7月13日のベルモントパーク競馬場の未勝利戦でデビューを迎えたが4着、4戦目の芝コースの未勝利戦で初勝利を挙げた。続いて同じく芝の一般戦を勝利したのち、再びダート路線に転向、シャンペンステークス(G1・8 ハロン)に出走してこれを優勝した[5]。その後ブリーダーズカップ・ジュヴェナイル(G1・8.5ハロン)7着を最後にその年を終えた。
明けて1993年の3歳シーズン初頭は順調ではなく、ガルフストリームパーク競馬場のパームビーチステークス(G3・8.5ハロン)で始動するも9着、続く一般戦でも3着となかなか勝ち星を得られず、ケンタッキーダービー(G1・10ハロン)の前哨戦となるブルーグラスステークス(G2・9ハロン)でも勝ち馬プレイリーバイユーから2馬身以上離された4着と目立つ戦績を挙げられなかった。このためケンタッキーダービー本戦でのシーヒーローは単勝オッズ14倍と穴馬扱いで、レースのスタートからも後方集団につけていたが、戻りのコーナーで前方に進出し、最後の直線手前で内側に鋭く切れ込んで先頭に立つとそのまま先団を突き放し、最後に追い上げてきたプレイリーバイユーに2馬身半差をつけて優勝を手にした[3]。鞍上を務めてきたジェリー・ベイリーにとっては初のダービー制覇で、馬主のメロンはジョン・ガルブレス以来2人目の英米ダービー制覇を成し遂げた馬主となった[1][注 1]。
続くプリークネスステークス(G1・9.5ハロン)では5着、ベルモントステークス(G1・12ハロン)では7着と良い結果を出せなかったものの、ジムダンディステークス(G2・9ハロン)4着を挟んで出走したトラヴァーズステークス(G1・10ハロン)ではベルモントステークス優勝馬コロニアルアッフェアーらを破って優勝を果たした。同年はその後ウッドバイン競馬場のモルソンエクスポートミリオンに出走して3着になったのが最後であった。年度代表馬選考においては最優秀3歳牡馬部門でプレイリーバイユーに敗れ、受賞はならなかった。
その後4歳シーズンも8戦をこなしたが、一般戦での1勝以外で勝ち星は得られず、芝路線へと転向するもののボウリンググリーンハンデキャップ(G2・芝9ハロン)で2着に入ったのが最高であった。
種牡馬入り後
[編集]1995年にレーンズエンドファームで種牡馬入りし、初年度の種付け料は10000ドルに設定されていた[3]。初期の産駒が走らなかったことから1999年にトルコのカラジャベイペンションスタッドへと輸出されたが、その直後にシンディーズヒーロー(Cindy's Hero, 1998年生)がデルマーデビュータントステークス(G1)に優勝している[4][3]。トルコジョッキークラブの調べによれば、シーヒーローの産駒419頭のうち211頭が勝ち上がり、産駒の稼いだ総賞金は32,890,013リラに及ぶという[3]。
シーヒーローは2015年に種牡馬を引退し、その後2019年6月12日に29歳で死亡した[3]。
また、サラトガ競馬場のパドック付近とNational Sporting Libraryにはシーヒーローの功績を称えた銅像が建てられている。
血統表
[編集]シーヒーローの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ダンジグ系 |
[§ 2] | ||
父 *ポリッシュネイビー Polish Navy 1984 鹿毛 |
父の父 Danzig鹿毛 1977 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Pas de Nom | Admiral's Voyage | |||
Petitioner | ||||
父の母 Navsup鹿毛 1966 |
Tatan | The Yuvaraj | ||
Valkyrie | ||||
Busanda | War Admiral | |||
Businesslike | ||||
母 Glowing Tribute 鹿毛 1973 |
Graustark 栗毛 1963 |
Ribot | Tenerani | |
Romanella | ||||
Flower Bowl | Alibhai | |||
Flower Bed | ||||
母の母 Admiring黒鹿毛 1962 |
Hail to Reason | Turn-to | ||
Nothirdchance | ||||
Searching | War Admiral | |||
Big Hurry | ||||
母系(F-No.) | ラトロワンヌ牝系(FN:1-s (1-x)) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | War Admiral 4x4, La Troienne 5x5 | [§ 4] | ||
出典 |
母グローイングトリビュートはポール・メロンの生産馬で、シープスヘッドベイハンデキャップ(G2)連覇などの成績を挙げてきた実績馬であった。繁殖成績もシーヒーロー以前から高く、特に第1仔のヒーローズオナー(Hero's Honor, 1980年生、牡馬、父ノーザンダンサー)はG1競走2勝を挙げるなど、シーヒーロー含めて産駒のうち7頭がグレード競走で勝ちを収めている[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j Avalyn Hunter. “Sea Hero (horse)”. American Classic Pedigrees. 2021年8月23日閲覧。
- ^ a b c d e f “Sea Hero (VA)”. EQUIBASE. 2021年8月23日閲覧。
- ^ a b c d e f Eric Mitchell (2019年6月12日). “Oldest Living Derby Winner Sea Hero Dies at 29”. Blood-horse. 2021年8月23日閲覧。
- ^ a b Juliette Beauchamp. “This Week in Horse History – Sea Hero”. Horse Talk Magazine. 2019年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月23日閲覧。
- ^ “Champagne S. Grade 1”. equibase.com (1992年10月10日). 2021年8月23日閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|Sea Hero(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ(JBIS-Search). 日本軽種馬協会. 2021年8月23日閲覧。
- ^ a b c d “Sea Heroの血統表”. netkeiba.com. 2021年8月23日閲覧。