シャーロット (ヴュルテンベルク王妃)
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シャルロッテ Charlotte | |
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ヴュルテンベルク公妃 ヴュルテンベルク選帝侯妃 ヴュルテンベルク王妃 | |
1797年 | |
在位 | 1797年12月23日 - 1816年10月30日 |
別称号 | プリンセス・ロイヤル |
全名 |
シャーロット・オーガスタ・マティルダ 英:Charlotte Augusta Matilda シャルロッテ・アウグスタ・マティルダ 独:Charlotte Augusta Matilda |
出生 |
1766年9月29日 グレートブリテン王国 イングランド、ロンドン、バッキンガム宮殿 |
死去 |
1828年10月5日(62歳没) ヴュルテンベルク王国、ルートヴィヒスブルク、ルートヴィヒスブルク宮殿 |
埋葬 | ヴュルテンベルク王国、ルートヴィヒスブルク |
結婚 | 1797年5月18日 セント・ジェームズ宮殿 |
配偶者 | フリードリヒ1世 |
家名 | ハノーヴァー家 |
父親 | ジョージ3世 |
母親 | シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ |
シャーロット・オーガスタ・マティルダ(Charlotte Augusta Matilda, The Princess Royal, 1766年9月29日 - 1828年10月5日)は、ヴュルテンベルク王フリードリヒ1世の王妃。ドイツ語名ではシャルロッテ・アウグスタ・マティルダ。
生涯
[編集]イギリス王ジョージ3世と王妃シャーロットの長女として、バッキンガム宮殿で生まれた[1]。1789年6月22日に王の長女の称号プリンセス・ロイヤルを授けられた[1]。
1797年5月18日、ヴュルテンベルク公国のフリードリヒ公子とセント・ジェームズ宮殿で結婚した[1]。夫は最初の妃アウグステ(ジョージ4世妃キャロラインの姉、シャーロットの従姉)との間に2男2女をもうけていた。シャーロットは1798年4月27日に女児を死産した[1]後、子供は生まれなかった。
1800年にナポレオン戦争の煽りでヴュルテンベルクは侵略され、シャーロットとフリードリヒはウィーンへ亡命した。フリードリヒは、自領モンベリアル伯領をフランスに譲渡し、替わりにエルヴァンガーを受け取った。1803年、フリードリヒはヴュルテンベルク選帝侯となった。のち、イギリス王家の介入もあり、ナポレオンの没落後ヴュルテンベルクは王国として復活した。
1816年に夫と死別すると、シャーロットはシュトゥットガルトのルートヴィヒスブルク宮殿に住み、親族の訪問を楽しみに余生を過ごした。1819年には、弟ケント公エドワードの長女アレクサンドリナ・ヴィクトリア(のちのヴィクトリア女王)の代母をつとめた。1827年、浮腫の手術を受けにイギリスへ帰国した。翌年、ルートヴィヒスブルク宮殿で死去した[1]。
注釈・出典
[編集]参考文献
[編集]- Alison Weir, Britain's Royal Families, Vintage, 2008.
シャーロット (ヴュルテンベルク王妃)
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ドイツの君主 | ||
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先代 フリーデリケ・フォン・ブランデンブルク=シュヴェート |
ヴュルテンベルク公妃 1797年12月23日 – 1803年2月25日 |
空位 ヴュルテンベルク選帝侯国への昇格による称号の廃止 次代の在位者 ―
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空位 ヴュルテンベルク選帝侯国への昇格による称号の新設 最後の在位者 ―
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ヴュルテンベルク選帝侯妃 1803年2月25日 – 1806年1月1日 |
空位 ヴュルテンベルク王国への昇格による称号の廃止 次代の在位者 ―
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空位 ヴュルテンベルク王国への昇格による称号の新設 最後の在位者 ―
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ヴュルテンベルク王妃 1806年1月1日 – 1816年10月30日 |
次代 エカテリーナ・パヴロヴナ・ロマノヴァ |