シャルル・モーラン
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シャルル・モーラン Charles Maurin | |
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自画像 | |
生誕 |
1856年4月1日 フランス,ル・ピュイ=アン=ヴレ |
死没 |
1914年7月22日 フランス,グラース |
シャルル・モーラン(Charles Maurin、1856年4月1日 - 1914年7月22日)はフランスの画家、版画家である。
略歴
[編集]オート=ロワール県のル・ピュイ=アン=ヴレで生まれた。1875年に奨学金を得て、1876年から1879年の間、パリの国立高等美術学校に入学し、ジュール・ジョゼフ・ルフェーブルに学んだ[1]。アカデミー・ジュリアンでも学び、後にアカデミー・ジュリアンで教えた。1882年からフランス芸術家展(Salon des Artistes Français)に出展し、1883年にフランス芸術家協会の会員となった。版画家、フェリックス・ヴァロットン(1865-1925)の友人で、版画の分野の教師であった。
画商のアンブロワーズ・ヴォラールの支援を受け、ロートレックとは共同で展覧会を開いた。多くの芸術家と友人となった。その中にはアールヌーヴォーの芸術家、キャラバン(François-Rupert Carabin)や有名な歌手、アリスティード・ブリュアンもいる。象徴主義の作品も描き、象徴派の展覧会、「薔薇十字サロン」(Salon de la Rose + Croix)にも出展した。日本の版画作品から着想を得て多色刷り版画の技法を開発した[1]。
フェリックス・フェネオン(Félix Fénéon)が編集した文芸誌・芸術評論誌「ルヴュ・ブランシュ」(La Revue blanche) やアナキストのジャン・グラーブが出版した「Les Temps nouveaux」に作品を掲載した。
作品
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「ロシアの少女」
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「召使の朝食」
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「リンゴ」
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「コンポジション」
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François-Rupert Carabin-彫刻家
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ロートレックの肖像
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処刑前のRavachol-アナキスト
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Charles Maurin : un symboliste du réel, catalogue d’exposition, Musée Crozatier, Le Puy-en-Velay, 17 juin-30 septembre 2006, Fage, 2006.