シティ・ヘディアティ
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シティ・ヘディアティ・ハリヤディ Siti Hediati Hariyadi | |
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生年月日 | 1959年4月14日(65歳) |
出生地 | インドネシア 中部ジャワ州スマラン |
出身校 | インドネシア大学 |
現職 | 国防大臣夫人 |
所属政党 |
ゲリンドラ(2023年以降) ゴルカル(2012年-2018年) ベルカリヤ(2018年~2023年) |
配偶者 | プラボウォ・スビアント(1983年 ‐ 1998年) |
子女 | ディディット・ヘディプラセトヨ |
親族 | スハルト(父親) |
在任期間 | 2014年10月1日 - 2018年6月11日 |
シティ・ヘディアティ(Siti Hediati Hariyadi、1959年4月14日 - )はインドネシアの政治家。元インドネシア大統領スハルトの娘で、大統領のプラボウォ・スビアントの元妻。
経歴
[編集]1978年から1985年までインドネシア大学経済学部で学び、経済学の学士号を取得した[1]。 1983年5月にプラボウォ・スビアントと結婚し、夫婦にはディディット・ヘディプラセトヨという1人息子が生まれた。しかし、スハルト辞任後の1998年に、離婚している。離婚から16年後、シティは2014年の大統領選挙の集会でプラボウォを支持したが、再婚の憶測を否定した[2]。
社会活動
[編集]被災者支援
[編集]2006年、ジャワ島にあるムラピ山が噴火した際、周辺住民への支援を行った。
2006年FIFAワールドカップ
[編集]2006年に、FIFAワールドカップの際にSCTVでテレビ解説者を務めた。
その他
[編集]2010年から2015年にかけてインドネシア美術財団の代表を務めた。
政治家としてのキャリア
[編集]2014年のインドネシア立法院総選挙で、ジョグジャカルタ特別州選挙区から、ゴルカル党から2014 年から2019年が任期の国民議会(下院に当たる)議員に選出された[3]。2024年2月14日に執行された2024年インドネシア総選挙で、得票率59%で夫のプラボウォが当選し[4]、シティはプラボウォの政党であるグリンドラ党から立候補し、ジョグジャカルタ選挙区で2番目に多くの票を獲得し、グリンドラ党の議席を確保した。
資産
[編集]1999年に父親の政権が終わった後、タイム誌は彼女の個人資産を7,500万ドルと見積もった[5]。
脚注
[編集]- ^ 「アーカイブコピー」 (PDF) . 2020 年 6 月 18 日のオリジナル (PDF)からアーカイブ。2021年9月18日に取得。
- ^ “No need for reconciliation: Titiek Soeharto”. The Jakarta Post. (23 June 2014) 20 October 2017閲覧。
- ^ DPRメンバーの公式プロフィール” . 2015 年 7 月 13 日にオリジナルからアーカイブ。2015 年 7 月 12 日に取得。
- ^ “インドネシア大統領選、プラボウォ国防相が勝利 選管発表”. ロイター. (2024年3月21日) 2024年3月22日閲覧。
- ^ ジョン・コルミー(1999年5月24日)。「スハルト社」。CNN。タイムズアジア。2017 年11 月 6 日に取得。