ザームエル・ホルトハイム

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ザームエル・ホルトハイム

ザームエル・ホルトハイムSamuel Holdheim, 1806年 ポーゼン管区ケンペン(ケンプノ Kępno) - 1860年8月22日 ベルリン)は、プロイセン王国ポズナン大公国出身の、ドイツ改革派ラビ

ポーゼン管区の正統派の出身であったが、変化する時代はトーラーの大きな変化を要求するという考えを当時最も推し進め、その内容は、土曜シャッバートから日曜礼拝への移行、祭典の廃止、宗教上の慣習の廃止、非ユダヤ人との結婚に関わるということであった。

ケンプノに正統派ユダヤ教徒の子として生まれ、イェシーバーラビ文学を学んだ。その後プラハ哲学などを学ぶ。

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