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ゲオルク・ヨハン2世 (プファルツ=リュッツェルシュタイン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゲオルク・ヨハン2世
Georg Johann II.
プファルツ=グッテンベルク公
プファルツ=リュッツェルシュタイン公
在位 プファルツ=グッテンベルク公:1598年 - 1654年
プファルツ=リュッツェルシュタイン公:1611年 - 1654年

出生 (1586-06-24) 1586年6月24日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
プファルツ=フェルデンツ公領、リュッツェルシュタイン
死去 (1654-09-29) 1654年9月29日(68歳没)
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
プファルツ=フェルデンツ公領、リュッツェルシュタイン
配偶者 ズザンナ・フォン・プファルツ=ズルツバッハ
子女 ゲオルク・オットー
アンナ・マリア
ヨハン・フリードリヒ
フィリップ・ルートヴィヒ
家名 プファルツ=フェルデンツ家
父親 プファルツ=フェルデンツゲオルク・ヨハン1世
母親 アンナ・マリア・ヴァーサ
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ゲオルク・ヨハン2世ドイツ語:Georg Johann II., 1586年6月24日 - 1654年9月29日)は、プファルツ=グッテンベルク公(在位:1598年 - 1654年)およびプファルツ=リュッツェルシュタイン公(在位:1611年 - 1654年)。

生涯

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ゲオルク・ヨハンは、プファルツ=フェルデンツゲオルク・ヨハン1世スウェーデン王グスタフ1世ヴァーサの娘アンナ・マリアとの間に四男として生まれた。

ゲオルク・ヨハンは、グッテンベルク領を兄ルートヴィヒ・フィリップとともに分割相続し、1592年に父の跡を継いだ。 兄のゲオルク・グスタフヨハン・アウグストはそれぞれフェルデンツとリュッツェルシュタインを継承した。当初、ゲオルグ・ヨハンは母親と長兄ゲオルグ・グスタフの保護下にあった。1601年に兄のルートヴィヒ・フィリップがハイデルベルクの馬上槍試合で殺害された後、ゲオルク・ヨハン2世は単独でグッテンベルクを統治した。

1611年に兄ヨハン・アウグストが亡くなった後、ゲオルク・ヨハン2世がリュッツェルシュタイン伯領をも継承した。

ゲオルク・ヨハンの死により、グッテンベルク系およびリュッツェルシュタイン系プファルツ家は再び断絶し、その領土はゲオルク・ヨハンの甥であるレオポルト・ルートヴィヒのものとなった。ゲオルク・ヨハン2世はリュッツェルシュタインに埋葬された。

結婚と子女

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ゲオルク・ヨハンは1613年にプファルツ=ズルツバッハオットー・ハインリヒの娘ズザンナ(1591年 - 1661年)と結婚し、以下の子女が生まれた。

  • ゲオルク・オットー(1614年 - 1635年)
  • アンナ・マリア(1616年)
  • ヨハン・フリードリヒ(1617年 - 1618年)
  • フィリップ・ルートヴィヒ(1619年 - 1620年)

参考文献

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先代
ゲオルク・ヨハン1世
プファルツ=フェルデンツ
1592年 - 1598年
ゲオルク・グスタフヨハン・アウグストルートヴィヒ・フィリップと共治)
次代
ゲオルク・グスタフ
先代
プファルツ=グッテンベルク公
1598年 - 1654年
(1601年までルートヴィヒ・フィリップと共治)
次代
レオポルト・ルートヴィヒ
先代
ヨハン・アウグスト
プファルツ=リュッツェルシュタイン公
1611年 - 1654年
次代
レオポルト・ルートヴィヒ