クリフォード・エセックス

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クリフォード・エセックス
1924年ころのクリフォード・エセックス
基本情報
生誕 1869年
死没 1946年2月2日
ウィンブルドン
ジャンル ジャズ
職業 ミュージシャン教師製造業者起業家
担当楽器 バンジョー
活動期間 1900年 - 1946年
共同作業者 クリフォード・エセックス・バンジョー・バンド
公式サイト cliffordessex.net

クリフォード・エセックス(Clifford Essex、1869年 - 1946年2月2日)は、ヴィクトリア朝からエドワード朝にかけて活動したイングランドバンジョー奏者、教師、楽器製造業者。

経歴[編集]

1900年、エセックスはロンドンピカデリーにクリフォード・エセックス社 (Clifford Essex And Co,) を設立したが、この会社はその後いろいろな名称の変遷を経ながら企業体として1977年まで存続した。この会社は、長い空白を置いた後、かつてこの会社の従業員であったバンジョー奏者クレム・ヴィッカリー (Clem Vickery) によって2007年に復活した。エセックスはバンジョーやマンドリンを製造し、バンジョーの演奏法に関するいくつもの本を書き、「バンジョー・オーケストラ (Banjo Orchestra)」と称されたクリフォード・エセックス・バンジョー・バンド (Clifford Essex Banjo Band) をはじめ様々なバンドで演奏し、さらに1883年から死去する1946年ころまでロンドンで音楽教室を続けた[1]

1903年に彼が創刊した雑誌『BMG (BMG)』は、バンジョー、マンドリン、ギターの頭文字を誌名とし、現在もイングランドで刊行が続けられている[2]

エセックスは、1946年2月2日ウィンブルドンの自宅において、87歳で死去した[3]

脚注[編集]

  1. ^ Clifford Essex company history”. CliffordEssex.net. 2013年4月17日閲覧。
  2. ^ BMG Magazine website”. BMG. 2013年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月2日閲覧。
  3. ^ Griffith, Hubert (1946年2月4日). “Obituary - Mr. Clifford Essex”. The Times (50367): p. 6 

外部リンク[編集]