クイ・リー
クイ・リー(Kui Lee、本名クイオカラニ・リーKuiokalani Lee 1932年7月31日 - 1966年12月3日) ハワイのシンガー・ソングライター。1960年代に活躍した。ドン・ホーが彼の曲を録音したことで有名になり、ホーはリーをハワイ音楽の新世代として応援していた。
伝記
[編集]中国上海生まれ。両親BillyとEthelはエンターテイナーで、スコットランド人・ハワイ原住民・中国人の子孫だった。Ethelは1936年に死去[1]。
やもめとなった父はハワイに帰り、5歳だったリーをカメハメハ学校に、そしてルーズヴェルト高校に入れた[2]。
その後、ニューヨークのレキシントン・ホテルの「ハワイの間」でナイフ・ダンサー、振付師として働いた[3]。
そこでフラ・ダンサーのRose Frances Naone Leinani(愛称Nani)と出会い結婚[4]。
Naniはリーとともにハワイに帰り、リーやDon HoとHoney'sで仕事した。彼女はSterling Mossman, Tommy Sands , Sons of Hawaii、ズールーなどとも共演している。
二人は四人の子ども- Wailana, Mahealani, Maile 、Kimoをつくった。
1961年、リーはカウアイ島のクラブやドン・ホーの母親が経営するクラブで働き、ホーはクイの歌を録音することでスターになった。ホーがステージでさかんに宣伝したことでリーも有名になった。
作曲で有名になったのは死の間際だった。The Extraordinary Kui Lee が生前に発表された唯一のアルバムだった[5]。
そのアルバムには『I'll Remember You』が含まれており、後にドン・ホー、エルヴィス・プレスリー、Makaha Sons of Ni'ihauが歌い有名になった。
他にDays of my Youthという曲もあり、いまではハワイ音楽のスタンダードである。
最期の日々と夭逝
[編集]ティフアナのガダラジャラGuadalajara病院で、1966年冬に亡くなった[1]。享年34。
遺灰はワイキキに散骨された。
1973年、エルヴィス・プレスリーが『アロハ・フロム・ハワイ』[6] と題されたチャリティ・コンサートを行い、7万5千ドルの収益を「クイ・リーがん基金」に寄付した。このコンサートで歌われたことにより、エルヴィス版の『I'll remember you』(スタジオでのレコーディング、および映画『カリフォルニア万才』サントラ盤(Spinout)内のボーナス曲としての発売は1966年)が広く知られるようになった。
Nani Lee Meadowsもがんで2008年春に亡くなっている。
盤歴
[編集]- The Extraordinary Kui Lee (2005) CD 719 (Sony)
参照
[編集]- ^ a b “Kui Lee Memorial”. Find A Grave. 15 May 2010閲覧。
- ^ a b Enomoto, Catherine Kekoa (15 May 1997). “We'll Remember You”. Honolulu Star Bulletin
- ^ “Samoan Fire Knife Dance”. Media-HI, Inc. 15 May 2010閲覧。 Media-HI, Inc
- ^ Shikina, Robert (14 April 2008). “Nani Lee Meadows 1931-2008”. Honolulu Star Bulletin
- ^ Allen, Robert C (2004). Creating Hawaii Tourism. Bess Press. p. 206. ISBN 978-1-57306-206-0
- ^ Hopkins, Jerry (2002). Elvis in Hawaii. Bess Press. p. 75. ISBN 978-1-57306-142-1
資料
[編集]- Kanahele, George S.; Berger, John, eds (2012) [1979]. Hawaiian Music & Musicians (2nd ed.). Honolulu, HI, USA: Mutual Publishing, LLC. ISBN 9781566479677. OCLC 808415079