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ギョーム・ドパルデュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ギヨーム・ドパルデュー
Guillaume Depardieu
ギヨーム・ドパルデュー Guillaume Depardieu
本名 Guillaume Jean Maxime Antoine Depardieu
生年月日 (1971-04-07) 1971年4月7日
没年月日 (2008-10-13) 2008年10月13日(37歳没)
出生地 パリ
国籍 フランスの旗
職業 俳優
活動期間 1974年 - 2008年
著名な家族 ジェラール・ドパルデュー(父)
ジュリー・ドパルデュー(妹)
アラン・ドパルデュー(伯父)
デルフィーヌ・ドパルデュー(いとこ)
受賞
セザール賞
有望若手男優賞
1995年『Les Apprentis
その他の賞
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ギヨーム・ドパルデューGuillaume Depardieu、本名:ギヨーム・ジャン・マキシム・アントワーヌ・ドパルデュー、Guillaume Jean Maxime Antoine Depardieu1971年4月7日 - 2008年10月13日)は、フランス俳優

生涯

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父親はフランスを代表する名優のジェラール・ドパルデューであり、母親エリザベート、妹ジュリーも女優という芸能一家に育つ。父ジェラールと共演した『めぐり逢う朝』で本格的な映画デビューを果たすが、順調にキャリアを進めていた1995年にバイク事故に遭い、入院。さらに黄色ブドウ球菌による院内感染に見舞われる。俳優としての仕事を精力的にこなす一方、17回にも及ぶ手術とリハビリを受けるも甲斐なく、2003年には右足の切断を決意[1]。その後も義足の存在を感じさせない演技を続けた。

1999年『ポーラX』のプロモーションで、レオス・カラックス監督らとともに来日をしている。[2]

2004年、自叙伝「Tout Donner」を出版。

突然の死

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2008年10月、遺作のひとつである『L'enfance d'Icare』の撮影中にルーマニアで急性肺炎にかかり緊急帰国。3日後の10月13日に、パリ近郊の病院で亡くなった。37歳であった。[3][4][5]

10月17日に行われた葬儀には、サルコジ大統領夫人のカーラ・ブルーニをはじめ、ヴァンサン・カッセルモニカ・ベルッチ夫妻、レオス・カラックス監督、ナタリー・バイロマーヌ・ボーランジェなど数多くの著名人が参列。母親エリザベートはスピーチの中で「いつも、今夜は家に帰ってくるかしらと思わせる子どもであり、男性でした」と語り、父親ジェラールは、「星の王子さま」の一節を読みあげた。

「その夜、私は彼が出発したことに気がつかなかった。彼は物音ひとつたてずに去っていった。 私がようやく追いついた時、彼は毅然とした表情で足早に歩いていた。彼は、私にこう言っただけだった。 “あぁ!来てくれたんだ…”彼は私の手を取った。だが、それでもまだ不安げだった。」 「わかってくれるよね。遠すぎるんだ。ぼく、とてもこのからだを持ってけないよ。重すぎるんだもの。」

Cette nuit-là je ne le vis pas se mettre en route. Il s'était évadé sans bruit. Quand je réussis à le rejoindre il marchait décidé, d'un pas rapide. Il me dit seulement: Ah! tu es là... Et il me prit par la main. Mais il se tourmenta encore

Tu comprends. C'est trop loin. Je ne peux pas emporter ce corps-là. C'est trop lourd.

主な出演作品

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関連項目

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脚注

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外部リンク

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