キラン・ベディ
Kiran Bedi | |
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生誕 |
1949年6月9日(75歳) パンジャーブ州アムリトサル |
住居 | インド |
国籍 | インド |
職業 | 社会活動家, インド警察官 (1972-2007) |
受賞 | マグサイサイ賞(1994年)ほか |
公式サイト | http://www.kiranbedi.com/ |
キラン・ベディ(英語: Kiran Bedi, ヒンディー語: किरण बेदी; 1949年6月9日 - )は、インドの社会活動家。また、インド警察における初の女性警察官としても知られている。
概要
[編集]キラン・ベディは、プラカシュ・ラル・ペシャワリア(Prakash Lal Peshawaria)およびプレム・ラタ・ペシャワリア(Prem Lata Peshawaria)の次女として生まれた。 アムリトサルの聖心修道院付属学校(Sacred Heart Convent School)から軍幼年学校(National Cadet Corps)に進み、アムリトサルの女性国立大学(Government College for Women)において、英文学で学士号(BA(hons); 1964-68年)を取得したのち、チャンディーガルのパンジャブ大学において、政治学の修士号を首席で取得した(1968-70年)。その後、1970年から1972年までカルサ女子大学において政治学の講師を勤めたのち、1972年7月、インド警察に入隊した。
キラン・ベディは、ニューデリーにおける交通取り締まりから、国際連合代表団における文民警察顧問に至るまで、多岐にわたる任務を遂行した[1]が、国連においては勲章を授与されている[2] 。なお、この間に彼女を有名にしたのが、インディラ・ガンディー首相の車を駐車違反の廉で移動したことである。[3]このエピソードにより、彼女はクレーン・ベディとして知られている。
1993年、キラン・ベディはティハール刑務所の所長に任命され、受刑者の待遇の改善のために努力した。この刑務所はインドでもっとも大きなものであり、受刑者は理想的とは言えない環境におかれていた。彼女は、衛生状態の向上や、囚人からの苦情の受付などに心を砕き、環境を大きく改善した。また、囚人から有志を募っての初等教育や外国語教育、ヴィパッサナー瞑想などのまったく新しい試みも導入された。また、このように公務に従事する間も研鑽を重ね、1993年にはインド工科大学においてPh.D.の学位を授与された。これらの功績が認められて、1994年、彼女はアジアのノーベル賞とも称されるマグサイサイ賞を受賞した。
その後、キラン・ベディはチャンディーガルにおいて警察署長に就任したものの、州内務大臣に部下を無断で停職処分されてから対立し、さらに母親が脳卒中で意識不明になる(その後意識を回復しないまま死去)という不幸も重なり、41日間での退任を余儀なくされた。国連の文民警察顧問を務めた後、彼女はデリー警察本部長を期待したものの、その地位は後輩に譲られた。彼女はチャンディーガル赴任前より非政府組織(NGO)において民間支援活動を展開しており、これを契機にNGO活動に注力するため、2007年、彼女は警察を早期退職した。
警察を退職したのち、国民と警察本部との間をつなぐためのウェブサイトであるwww.saferindia.com [1]を開設した。このサイトは、警察に訴えを聞き入れてもらえなかった市民から非常に好評である。
なお、私生活においては、1972年にブリジ・ベディと結婚し、4人の子供をもうけている。また、かつてテニス選手であった父の影響から、キラン・ベディもまたテニスの優れたプレイヤーであり、22歳のときにはアジアン・レディース・タイトルを獲得している。
脚注
[編集]- ^ Interview with Kiran Bedi Un Chronicle, January 2003.
- ^ Indian Heros Kiran Bedi at iloveindia.
- ^ First female police officer BBC News, Delhi, Tuesday, 27 November 2007.