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ガルシア2世・サンシュ (ガスコーニュ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ガルシア2世・サンシュ
Garcia II Sanche
ガスコーニュ公
在位 887年以前 - 930年ごろ

死去 930年ごろ
配偶者 アムナ・ド・ペリゴール
子女 サンシュ4世
ギヨーム
アルノー
アンドレゴト
ガルサンド
アシベル
家名 ガスコーニュ家
父親 ガスコーニュ公サンシュ2世・サンシュ / サンシュ3世
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ガルシア2世・サンシュフランス語:Garcia II Sanche / Garsie-Sanche, ? - 930年ごろ)またはガルシア2世・サンチェス(スペイン語:García II Sánchez)は、ガスコーニュ公(在位:887年以前 - 930年ごろ)。湾曲公le Torsまたはle Courbé)と呼ばれた。

生涯

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ガルシア2世はおそらくガスコーニュ公サンシュ2世・サンシュまたはサンシュ3世の息子であると考えられているが、古い文献ではスペイン出身の系譜が示されており[注釈 1]、ガルシア2世の祖先ははっきりしない。ガルシア2世はフェザンサック伯・ガスコーニュ公アルノーの従兄弟とも考えられており、一部の資料によると、アルノーは864年にサンシュ2世・サンシュが死去した後、ガルシア2世が若年の間に摂政を務めたといわれている。また、他の資料では、アルノーをサンシュ2世の後継者として位置付け、アルノーの死を同年としている。いずれにせよ、ガルシア2世は887年までには権力を握っていたとみられる。887年、ガルシア2世はフランク王カール3世の治世の衰退期における方針を決定するためにブールジュに集まったアキテーヌの貴族が発行した特許状において確認される。904年に、ガルシア2世は「comes et marchio in limitibus oceani(海の境界までの伯略および辺境伯)」の称号を用いていた。ガルシア2世は、1032年までガスコーニュを統治し、後にボルドー伯領を自領に統合した公爵家の始祖となった。ガルシア2世の娘アンドレゴトは、ボルドー伯ギヨーム善良伯英語版の父であるレーモンと結婚した。ガルシア2世の死後、3人の息子が領地を分割相続した。

子女

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ガルシア2世はアムナ・ド・ペリゴールと結婚し、以下の子女をもうけた。

注釈

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  1. ^ Higounet, p. 44には「移り変わる幻影のように」と記されている。

参考文献

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  • Higounet, Charles (1963). Bordeaux pendant le haut moyen age. Bordeaux: Fédération historique du Sud-Ouest Bordeaux 
先代
サンシュ3世
ガスコーニュ公
887年以前 - 930年ごろ
次代
サンシュ4世