カラ・ボガス・ゴル湾

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カラボガスゴル湾

カラボガスゴル湾カラボガズゴル湾 (Zaliv Kara-Bogaz-Gol) は、中央アジアカスピ海東部にあるである。2017年現在はトルクメニスタンに属している。

カスピ海本体とは砂州で分断され、狭い海峡を通じて接続している。そのため、独立した潟湖として扱われることもある[注釈 1]

「カラ・ボガス・ゴル」は、トルコ語で「黒い潟湖」の意[1]

概要[編集]

カスピ海に存在するいくつかの湾の中で1番大きな湾がカラボガスゴル湾である。水深は浅い。この湾にはカスピ海から水が流れ込んでくることが知られている。流れ込んできた水は、もはやどこにも流出する場所が無いために、カラボガスゴル湾の塩分濃度は元々高く、カスピ海からの流れに乗ってこの湾へと入ってきてしまったは、その塩分濃度のためにすぐに死んでしまうことが知られていた[2]。そして、このカラボガスゴル湾という水の流出先があるために、カスピ海の塩分濃度は、比較的低く抑えられてきた側面がある。そのカスピ海の水位は、20世紀初頭から1977年頃まで約3mほど低下し、1930年代に特に低下が顕著だった。このカスピ海の水位の低下に伴って、カスピ海からカラボガスゴル湾への水の流れ込む量が減少したため、この湾では少しずつ塩化ナトリウムの濃度が上昇した[3]。その後、カスピ海の水位は1977年から1990年代半ばまでは約2mほど上昇したものの、1980年に旧ソビエト連邦により、カスピ海とカラボガスゴル湾をつなぐ海峡が堰き止められて水の流入が止まったため、1983年末までにカラボガスゴル湾は濃縮され結晶化した塩分を残してほぼ干上がった。

カスピ海とカラボガスゴル湾を結ぶ海峡。1980年に旧ソビエト連邦によりダムが建設された。

このカラボガスゴル湾の急激な乾燥化と塩分を含む砂塵のダストボウル化で広範囲にわたって塩害やこれに関連する健康被害を引き起こした。1990年代のソビエト連邦の崩壊の後、この地域はトルクメニスタン領となり、海峡を堰き止めていたダムは撤去された。

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 一例として、『日本大百科全書』では「カラ・ボガス・ゴル」で立項され、「カスピ海東岸中央部の潟湖」と定義されている[1]

出典[編集]

  1. ^ a b 小宮山 1985.
  2. ^ Multhauf 1989, p. 234.
  3. ^ Multhauf 1989, p. 314.

参考文献[編集]

  • Robert P. Multhauf 著、市場泰男 訳『塩の世界史』平凡社、1989年11月24日。ISBN 4-582-40803-6 
  • 小宮山武治「カラ・ボガス・ゴル」『日本大百科全書』 5巻、小学館、1985年8月20日、857頁。ISBN 4-09-526005-X 

外部リンク[編集]

座標: 北緯41度21分07秒 東経53度35分43秒 / 北緯41.3519度 東経53.5952度 / 41.3519; 53.5952