エッケハルト1世 (シェイエルン伯)

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エッケハルト1世
Ekkehard I.
シェイエルン伯

称号 シェイエルン伯
Graf von Scheyern
死去 1087年/1088年/1091年5月11日以前
配偶者 リヒガルディス・フォン・ヴァイマール=オーラミュンデ
子女 ウダルリヒ1世
オットー4世
エッケハルト2世
家名 ヴィッテルスバッハ家
父親 オットー1世
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エッケハルト1世ドイツ語: Ekkehard I.、? - 1087年/1088年/1091年5月11日以前)はオットー1世の息子でシェイエルン伯。

生涯[編集]

1074年以降フライジングフォークト(代官)で1080年または1082年以降ヴァイエンシュテファン英語版のフォークトも務めた[1]

家族[編集]

クライン辺境伯およびヴァイマール=オーラミュンデ伯ウルリヒ1世の娘リヒガルディスと結婚して3人の息子をもうけた[1]

リヒガルディスは、エッケハルト1世の死後、義弟のシェイエルン伯オットー2世と結婚した。

脚注[編集]

  1. ^ a b Family tree of the Counts of Scheyern-Wittelsbach-Dachau-Valley, from a lecture by Prof. Schmid: Bayern im Spätmittelalter, winter 1996/97.