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ウルリヒ1世 (クライン辺境伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウルリヒ1世
Ulrich I.
クライン辺境伯
イストリア辺境伯
ヴァイマル=オーラミュンデ伯
在位 クライン辺境伯:1050/8年 - 1070年
イストリア辺境伯:1045/60年 - 1070年
ヴァイマル=オーラミュンデ伯1067年 - 1070年

死去 1070年3月6日
配偶者 ゾフィー・フォン・ウンガルン
子女 本文参照
家名 ヴァイマル家
父親 イストリア辺境伯ポッポ1世
母親 ハダムート・フォン・イストリア
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ウルリヒ1世(Ulrich I., ? - 1070年3月6日)は、クライン辺境伯(在位:1050/8年 - 1070年)、イストリア辺境伯(在位:1045/60年 - 1070年)およびヴァイマル=オーラミュンデ伯(在位:1067年 - 1070年)。一部の資料では(下)ケルンテン辺境伯であったともされる[1]

生涯

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ウルリヒ1世はイストリア辺境伯ポッポ1世の息子である。母ハダムート・フォン・イストリア(1040年以降没)はフリウーリおよびイストリア伯ヴェリガントとエーバースベルク伯ウルリヒ(1029年没)の娘ヴィリベルクの娘であった。

1045年のアダルベロ2世の死により断絶したエーバースベルク伯家の領地を巡る相続争いにおいて、ウルリヒは相続権をまともに主張することができなかった(1045年7月12日、ローマ王ハインリヒ3世の面前でのパーセンベウーク城での相続交渉において、突然の城の崩壊が起こったため)。 テューリンゲンでも、息子のウルリヒ2世が権力を掌握できたのは1090年以降のことであった。

従兄弟ヴァイマル伯ヴィルヘルム4世ハンガリー王ベーラ1世の娘ゾフィー(1095年没)と婚約していた。しかし、婚約者を領地に連れ帰ろうとしていた矢先の1062年にヴィルヘルム4世は亡くなった。そこでウルリヒ1世はヴィルヘルム4世の代わりにゾフィーと結婚した。

ザーリアー家の支持者でハンガリーとも良好な関係を保っていたウルリヒ1世は、1063年にイストリアの領地をフューメ(メラーン)まで拡大させた。このとき対立したのはアクイレイアヴェネツィアであった。

1064年、ローマ王ハインリヒ4世はイストリアの20のフーフェ(集落)をウルリヒに与えた[2][3]

1067年、従兄弟オットー1世が死去し、ウルリヒがヴァイマル伯位を継承した。

1070年にウルリヒ1世が死去した後、エッペンシュタイン伯マルクヴァルト4世がウルリヒの子供達の後見人となり、辺境伯領を預かった。

子女

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ハンガリー王ベーラ1世の娘ゾフィー(1095年6月18日没)との間に以下の子女をもうけた。

  • ウルリヒ2世(1112年5月13日没) - ヴァイマル=オーラミュンデ伯
  • ポッポ2世(1098年没) - イストリア辺境伯(1096年 - 1098年)、シュポンハイム伯エンゲルベルト1世の娘リヒガルト(リヒャルディス、1130年頃没)と結婚
  • リヒャルディス - シェイエルン伯エッケハルト1世と結婚、シェイエルン伯オットー2世(最初の夫の弟)と再婚。
  • ヴァルブルガ
  • アーデルハイト(1065年頃 - 1122年) - レーゲンスブルクのフォークトのフリードリヒ2世(1080/96年没)と結婚、ルルンガウ伯ウダルシャルク1世(1050年頃 - 1115年)と結婚。

脚注

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  1. ^ K. Tanglによると、クラインとイストリアはケルンテン公領内の辺境領であったとされる。
  2. ^ C. Chl. Freiherr von Reitzenstein: Regesten der Grafen von Orlamuende aus Babenberger und Ascanischem Stamm mit Stammtafeln, Siegelbildern, Monumenten und Wappen. Historischer Verein für Oberfranken. Verlag Th. Burger, Bayreuth 1871–1896, Digitalisat
  3. ^ Peter Štih, Studien zur Geschichte der Grafen von Görz – Die Ministerialen und Milites der Grafen von Görz in Istrien und Krain, Böhlau Wien, 1996

参考文献

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  • Peter Štih: Studien zur Geschichte der Grafen von Görz – Die Ministerialen und Milites der Grafen von Görz in Istrien und Krain. R. Oldenbourg Verlag, Wien-München 1996
  • Schwennicke Detlev: Europäische Stammtafeln Neue Folge Band I, 1, Vittorio Klostermann GmbH Frankfurt am Main 1998 Tafeln 144
  • Schwennicke, Detlef: Europäische Stammtafeln. Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten. Neue Folge Band XII, Schwaben Tafel 33
  • Thiele Andreas: Erzählende genealogische Stammtafeln zur europäischen Geschichte Band I, Teilband 1 Deutsche Kaiser-, Königs-, Herzogs- und Grafenhäuser I Tafel 167
  • Wegener Dr. Wilhelm: GENEALOGISCHE TAFELN ZUR MITTELEUROPÄISCHEN GESCHICHTE Seite 224, 237
先代
ポッポ1世
クライン辺境伯
1050/8年 - 1070年
次代
ハインリヒ3世
先代
ポッポ1世
イストリア辺境伯
1045/60年 - 1070年
次代
ポッポ2世
先代
オットー1世
ヴァイマル=オーラミュンデ伯
1067年 - 1070年
次代
ウルリヒ2世