ウダイプリー・マハル

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ウダイプリー・マハル(Udaipuri Mahal, 1640年 - 1707年6月8日直後)は、北インドムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブの妃。カーム・バフシュの母親でもある。ウダイプリー・バーイー(Udaipuri Bai)とも呼ばれた。

生涯[編集]

ウダイプリー・マハルは奴隷の娘だった。出身地についてはあまりよくわかっておらず、メーワール王国ウダイプルの出身とも、カシミールの出身ともいわれる[1]。あるいはグルジア出身ともされている[2]

最初はダーラー・シコーの妃だったが、1659年に彼がアウラングゼーブに処刑されると、その妃となった[1]

1667年3月6日、アウラングゼーブの最後の息子であるカーム・バフシュを生んだ[1][2]

1681年以降、アウラングゼーブがデカン地方に遠征するとそれに随行し、その晩年の面倒を見ていた[3]

1707年3月にアウラングゼーブがアフマドナガルで死ぬと、ウダイプリー・マハルも同年6月8日の直後に後を追うようにグワーリオールで死亡した[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d Delhi 7
  2. ^ a b ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p233
  3. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p246

参考文献[編集]

  • ロビンソン, フランシス 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 - インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206 - 1925年)』小名康之監修、創元社、2009年5月。ISBN 9784422215204