ウィリアム・パーソン

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ウィリアム・エドウィン・パーソン(William Edwin Parson、1845年10月18日 - 1905年12月19日)は、明治時代にお雇い外国人として来日したアメリカ合衆国教育者牧師である。

経歴・人物[編集]

ペンシルベニア州出身。

神学校卒業後、ワシントンD.C.で聖職活動に従事し牧師となる。1874年(明治7年)に日本政府に招かれる。東京開成学校数学及び物理学の教鞭を執り、同校が旧東京大学に昇格後も引き続き理学部で教鞭を執った。また同時期にヘンリー・フォールズらと共に楽善会訓盲院(後の東京盲唖学校)の創立に携わった。

1878年(明治11年)に帰国し、再び牧師となりハワード大学ヘブライ語及びギリシア語の教鞭を執った。

出典[編集]