アーチバルド・ハチソン

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アーチバルド・ハチソン: Archibald Hutcheson1659年ごろ - 1740年)は、アイルランド出身のイギリス法律家経済学者である。

人物[編集]

アイルランド王国北部、アルスターアントリム県で生まれた。彼はジャコバイトに対する共感を持ちミドルテンプルに召喚されているが、オルモンドというジャコバイトの公爵の法律顧問になった。彼はしばしばトーリー党に投票しているが、ホイッグ党としてヘースティングスから庶民院議員 (MP) に選出された。密接な政治的同盟者は後に次のように書いている。

“whenever he goes we shall lose a worthy, honest, incorruptible man which is, at this time of day, a great rarity.”
(彼は誠実であったが、剣先の鋭くまた難しくなった。)

1722年にも庶民院議員に再選されているが、暴動を理由に選挙結果を無効にされている。後年には孤児院建設に尽力した。

1708年11月30日、王立協会フェローに選出された[1]

出典[編集]

  1. ^ "Hutcheson; Archibald (c 1660 - 1740)". Record (英語). The Royal Society. 2021年7月28日閲覧

関連図書[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

グレートブリテン議会英語版
先代
サー・ウィリアム・アシュバーナム準男爵英語版
サー・ジョセフ・マーティン英語版
庶民院議員(ヘースティングズ選挙区英語版選出)
1713年1727年
同職:サー・ジョセフ・マーティン英語版 1713年 – 1715年
ヘンリー・ペラム英語版 1715年 – 1722年
サー・ウィリアム・アシュバーナム準男爵英語版 1722年 – 1727年
次代
トマス・タウンゼンド閣下
サー・ウィリアム・アシュバーナム準男爵英語版