アルフレト・ヴォイチェフ・ポトツキ
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アルフレト・ヴォイチェフ・ポトツキ Alfred Wojciech Potocki | |
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出生 |
1786年3月4日 フランス王国、パリ |
死去 |
1862年12月23日(76歳没) オーストリア帝国 ガリツィア・ロドメリア王国、ワンツト |
配偶者 | ユゼフィナ・マリア・チャルトリスカ |
子女 |
アルフレト・ユゼフ ユリア |
家名 | ポトツキ家 |
父親 | ヤン・ポトツキ |
母親 | ユリア・ルボミルスカ |
アルフレト・ヴォイチェフ・ポトツキ(Alfred Wojciech Potocki, 1786年3月4日 - 1862年12月23日)は、ポーランドの貴族、政治家。伯爵。小説家ヤン・ポトツキ(ユゼフ・ポトツキの曽孫)の長男。ワンツト(Łańcut)の初代オルディナト。
生涯
[編集]ヤン・ポトツキとその妻でスタニスワフ・ルボミルスキ公爵の娘であるユリア・ルボミルスカ公女(Julia Potocka)の間の長男として生まれた[1]。母が若くして死んだため、弟のアルトゥルとともに母方の祖母イザベラ・ルボミルスカ公爵夫人(Izabela Lubomirska)の手許で養育された。1822年に祖母イザベラが死ぬと、ワンツトを始めとする広大な所領を相続した。ワルシャワ大公国の軍隊に入り、1812年ロシア戦役には自弁で一個連隊を用意して参加した。一方でオーストリア帝冠領ガリツィア王国に官僚として出仕、1808年から1810年、また1831年の2度にわたって財務長官を、1834年に宮内長官を務めた。ガリツィア国務評議会の評議員、ガリツィア王国議会の国会議員でもあった。
1814年にユゼフィナ・マリア・チャルトリスカ公女(1787年 - 1862年)と結婚し、間に2男3女の5人の子女をもうけた。長女のユリア・ポトツカ(1818年 - 1895年)はリヒテンシュタイン侯子フランツ・デ・パウラに嫁ぎ、リヒテンシュタイン侯フランツ・ヨーゼフ2世の曾祖母となった。次男のアルフレト・ユゼフ・ポトツキ(1822年 - 1889年)はツィスライタニエン首相、ガリツィア総督を務めた。
参考文献
[編集]- Potocki, Alfred Gf. (1785-1862). In: Österreichisches Biographisches Lexikon 1815–1950 (ÖBL). Band 8, Verlag der Österreichischen Akademie der Wissenschaften, Wien 1983, ISBN 3-7001-0187-2, S. 229.
脚注
[編集]- ^ Minakowski, Marek Jerzy. “Alfred Potocki z Podhajec h. Pilawa (Srebrna) (ID: 3.662.587)”. 28 March 2012閲覧。