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アラン・ガルシア (競馬)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アラン・ガルシア
基本情報
国籍 ペルーの旗 ペルー
出身地 リマ
生年月日 (1985-10-02) 1985年10月2日(39歳)
騎手情報
初免許年 2002年
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アラン・ガルシアAlan Garcia1985年10月2日[1] - )は、ペルーリマ出身の騎手[2]

来歴

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祖父・父ともペルーの騎手という家系に生まれる[2]。幼少期はサッカー選手になることを夢見ていたが、自身の体格の小ささもあり、やがて騎手を志すようになる[3]2002年-2003年シーズンにペルーで騎手としてデビューし、見習騎手リーディングを獲得[2]。2003年夏には友人であるアルフレド・クレメンテ騎手の勧めでアメリカ合衆国に渡り、ニュージャージー州メドウランズ競馬場で騎乗を始めた[4]

2007年9月29日ラフドゥード(Lahudood)でフラワーボウルインビテーショナルステークスを勝ち、G1初制覇[5]10月27日にはラフドゥードでブリーダーズカップ・フィリー&メアターフも制し、ブリーダーズカップ初騎乗にして勝利を掴んだ[6]

2008年6月7日ベルモントステークスで最低人気のダタラ(Da' Tara)に騎乗。アメリカクラシック三冠の懸かったビッグブラウン(Big Brown)が失速する中で逃げ切り勝ちを収め[6]、同三冠競走初制覇を果たした。

同年12月、日本第22回ワールドスーパージョッキーズシリーズはアメリカ代表として当初、エドガー・プラード(ペルー出身)ともう1騎手が出場予定だったが、その騎手が出場不可となり、プラードの推薦も受けたガルシアが初出場・初来日することとなる[3]12月6日阪神競馬第8競走をグッドフロマージュで勝ち日本での初勝利を挙げると[7]、シリーズの対象競走で第12競走のゴールデンスパートロフィーもクリーンで勝利した。この際、クリーンの馬体重は602kgで当時のJRA史上最高体重優勝記録となり、「米国でもこんな大きな馬には乗ったことがない」とコメントした[8]。シリーズでの総合成績は11位だった[3]

2010年3月20日ガルフストリームパーク競馬場の第2競走をセントエリギウス(Saint Eligius)で勝ち、通算1000勝を達成[9]

2015年からはカナダウッドバイン競馬場に拠点を置く。この年は同地で93勝をあげ、リーディング4位という好成績を収めたが、年々成績は低下。2020年には同地を去り、アメリカ・フロリダ州の自宅へ戻った[10]

主なG1勝ち鞍

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レーシング・ポスト電子版のデータベース[5]に基づく。

年度別成績表

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北米

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騎乗数 勝利 勝率 獲得賞金
勝数 順位 金額 順位
2003年 209 27勝 - 13% 55万1279 -
2004年 651 66勝 - 10% 219万8478 -
2005年 823 79勝 - 10% 291万9343 93位
2006年 1108 155勝 60位 14% 527万703 42位
2007年 1439 235勝 16位 16% 1180万6322 13位
2008年 1282 232勝 15位 18% 1448万7938 7位
2009年 1049 183勝 43位 17% 1128万481 10位
2010年 836 148勝 63位 18% 864万4773 16位
2011年 692 104勝 - 15% 591万3470 31位
2012年 588 96勝 - 16% 692万3393 27位
2013年 544 81勝 - 15% 506万3655 37位
2014年 324 42勝 - 13% 311万2702 87位
2015年 496 94勝 - 19% 457万5109 50位
2016年 479 74勝 - 15% 315万9375 83位
2017年 395 48勝 - 12% 174万4006 -
2018年 321 34勝 - 11% 155万9287 -
2019年 250 27勝 - 11% 120万3015 -
2020年 81 9勝 - 11% 20万7592 -
通算 11567 1734勝 - 15% 9062万921 -

EQUIBASEのデータベース[11]に基づく。獲得賞金の単位はアメリカ合衆国ドル

出典

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