Wikipedia:秀逸な記事の選考/アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵) 20240127

アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵)ノート / 履歴 / ログ / リンク元[編集]

賛成/条件付賛成/保留/反対 3/0/0/0 この項目は選考基準の「賛成票が3票以上」かつ「賛成票が全体票数の3/4以上」を満たしています。2024年3月2日 (土) 08:12 (UTC)(2024年3月2日 (土) 17:12 (JST))までに異論が無ければ、この項目は秀逸な記事となります。

  • (自薦)イギリスの庶民院書記官の記事です。2019年に良質な記事に選出され、その後ほかの利用者による加筆やコメントがありました。そのコメントを受けて文献を調査し、ある程度仕上がったと思いますので自薦します。まだ調査中なところはありますが、大筋は変わらないと思いますので、早期にコメントが得られるよう先に選考に出しています。よろしくお願いいたします。--ネイ会話2024年1月27日 (土) 05:49 (UTC)[返信]
  • コメント とても良くまとめられているものと思います。「メイの功績と社会背景概説」節の最初の辺り、「イギリス議会 (初代ファーンバラ男爵)」という赤リンクがあるのは何かの誤りではないかと思います。「評価と後世への影響」の節の中で、アースキン・メイの著作が植民地各国でどれほど長い間参照されてきたかを説明するのは、この方の業績を示すうえで重要なのでしょうが、一方で書籍自体の記事にはその手の説明はまだないわけで、どの程度分担すればよいのだろうと感じます。書籍の記事に譲って、こちらでは簡潔に留めた方が良い内容もあるかもと思いますが、そのあたりはどのようにお考えでしょうか。--Tam0031会話2024年2月10日 (土) 15:56 (UTC)[返信]
    • 返信 赤リンクを修正しました。著作の影響に関しては、著作の記事にほぼ出版史だけ書いたので、それでちょっとアンバランスになったかもしれません。議事規則本の影響を著作記事に転記して、人物記事では存命中におきた影響(各地の議会からの質問など)を中心に記述したいと思います。議事規則本以外の著作は単独記事としての特筆性が疑わしく、現状のまま人物記事に記述するしかないでしょう。--ネイ会話2024年2月11日 (日) 06:47 (UTC)[返信]
    • 議事規則本の影響を著作記事に転記して、各地の議会と本人のやりとりを残しました。--ネイ会話2024年2月16日 (金) 11:37 (UTC)[返信]
賛成 議会運営を一種のアートとして成文化し、後世に影響を残したことが過不足無くまとめられており、秀逸な記事にふさわしいものと思います。--Anesth Earth会話2024年2月21日 (水) 02:46 (UTC)[返信]
  • 保留 充実した内容が分かりやすくまとめられており、おおまかには秀逸な記事として問題ない内容になっていると思いますが、細部で事実関係の整合性やもう少し情報が欲しい点、表現上の問題で気になる所などがありますので保留票とさせていただきます。
    • 以下の5点について、事実関係に疑問がありご確認いただければと思います。
      • チェック 差分) 「§庶民院書記官として」の第2段落に「1871年2月2日に発表された」とありますが、出典を確認すると1871年2月3日の政府広報において1871年2月2日付での昇進が発表されたという形のようですから、昇進日は2月2日ですが発表日は2月3日ではないですか?他の政府広報を出典として記述しているところでは公表日でなく受勲日で書かれているのと同じように、発表日でなく昇進日で書いた方がよさそうです。
      • チェック 差分) 「§『ジョージ三世の王位継承以降のイギリス憲法史』執筆(1861年 -)」の2段落目の1行目に日本語訳本についての記述がありますが、出典には書誌情報として「出版者 経済雑誌社」と書かれており、奥付に秀英舎の名前は書かれているものの、輿論社が出版を引き継いだ旨の記述は確認できませんでした。また、出典はあくまでも「英國憲法史 第一巻」のデジタルアーカイブであり、これ以降の巻の翻訳について1883年から1888年にかけて出版されたとはこの出典のみからは言えないと思います。国会図書館サーチで検索して各巻の情報を確認するとある程度状況は分かりますが、どう出典を提示してどう書くかという所はもう少し考える必要がありそうです。
      • チェック 差分) 「§『ヨーロッパ民主史』執筆(1877年)」の最終段落、川田徳二郎による日本語訳について、国会図書館のデジタルコレクションの本文を確認しますとコマ番号4の5ページ目に「フランスとイギリスの2国に関する部分のみを訳出する」、「緒論1冊、フランス部4冊、イギリス部3冊の計8冊とする」という旨の記述があり、完全な翻訳書ではなく一部分のみの翻訳に留まるようです。また実際に出版されたことが確認できるのは緒論の1巻およびフランス部1冊目の2巻のみで、ネット上で調べる限りでは残りの3~8巻目が刊行されたの確認が取れませんでした。注記無く単に「日本語訳され」という記述からは部分訳であるという状況は読み取れず、この日本語訳版に言及するのであればもう少し説明の補強はあった方がいいと思います。
      • チェック 差分) また、日本語訳の出版年月日について記事には「1882年3月に出版された」と書かれており、確かに出典に提示された国会図書館のデジタルコレクションでは書籍の表紙に「明治15年3月出版」とありますが、一方で書誌情報には出版年月日 明15.6と記載されており、出典の情報源中に齟齬が出ています。国文学研究資料館によると、1巻は明治15年3月出版[1]、2巻は明治15年7月出版(表紙)、明治15年6月出版(奥付)[2]となっていました。国会図書館の方ではコマ番号55までが1巻、コマ番号56からが2巻になっていますが、1巻の奥付および2巻の表紙が無くなっており、コマ番号97の2巻奥付の部分を書誌情報として明15.6を出版年月日としてしまっているように推察されます。2巻の表紙と奥付で出版月が1月ズレている点もありますし、出版年月について事実関係の整理が必要かと思います。
      • チェック 差分) 「ジョージ三世の王位継承以降のイギリス憲法史」は(1760年-1860年)まで含めてタイトルなのではありませんか?脚注に書かれている渡辺・小山・浜田共訳を確認しましたが、『ジョージ三世の王位継承以降のイギリス憲法史(1760年-1860年)』と書名を表す二重括弧内に年も含まれていますし、調べた範囲では書誌情報のタイトルはThe constitutional history of England since the accession of George Third, 1760-1860と1760-1860の部分もタイトルに含めるケースが多そうでした。
    • 以下の3点について、説明を加えることはできないでしょうか?
      • 「§著作一覧」にある『The Imperial Parliament』につきまして、時系列上はメイが執筆した初めての寄稿文という事になるのだと思いますが、庶民院日誌の索引付け作業が完了した1839年からアースキン・メイを上梓した1844年までの間の時期に書かれた著作として、記事中には書かれていないその経緯が加筆できればなお良いと思います。
      • チェック 差分) 『議会立法機構』について、この著作は当初は匿名にて発表され、再版時に著者名が記されたということが「§著作一覧」に記載されていますが、「§『議会立法機構』執筆(1854年)」の記事本文には一切このことに関する記述が無く、記事を読む限り他の著作で匿名で発表した物は無さそうな中でなぜそのような事になったのか経緯が気になる所です。
      • チェック 差分) 出典番号23においてPalonen 2012の文献が多くの個所で出典として示されていますが、ページ番号が示されていないので記載があった方がいいと思います。例えば「§庶民院書記官として」の3段落目最終行の記述は出典のp.20からですね。
    • 以下の1点につきましてガイドライン上の整合性に疑問があります。
      • チェック 差分) 「§外部リンク」の1つ目の「Hansard 1803–2005」へのリンクについて、リンク先に記載されている情報は氏名生没年および爵位とその期間のみしか書かれておらず、Wikipedia:外部リンク#掲載すべきでない外部リンクの1番目「記事に含まれている内容を本質的に超えないもの。」に該当するように思えます。
    • 以下の3点の記述につきまして、表記上の疑問がありますので、意図通りなのかご確認いただければと思います。
      • チェック 差分) 「§引退と死」の2段落目および「§人物評」においてメイを「初代ファーンバラ男爵」と表記しているのは意図的にでしょうか?ここの3か所以外でメイをそのように表記した部分は無く、意図せぬ表記ゆれではないかとも感じます。また、大半の個所では記事主題の人物の事を「メイ」と表記しているものの、所々で書籍タイトルとしてではなく人物を指して「アースキン・メイ」と表記されている個所があり、こちらも使い分けの意図を読み取り辛く表記ゆれなように感じます。
      • チェック 差分) 「§著作一覧」の「議会立法機構」について、「具名」という表現は聞きなれず、調べると中国語の表現のようです。日本語においても借用語的に使われることはあるかもしれませんが、一般的な言い回しとは言い難いように思います。
      • チェック 差分) 八折り判の出版物に関して、「8voパンフレット」、「8vo小冊子」、「8vo」の3パターンの表記が見られますがこれは意図的な使い分けでしょうか?例えば『選挙法の統合について』では、「§『選挙法の統合について』執筆(1850年)」の本文中は「8vo小冊子」、「§著作一覧」は「8voパンフレット」、「§略年表」は「小冊子」と表記されています。意図的に使い分けているのであれば問題ないと思いますが、意図せず表記ゆれしてしまっているのであれば統一されている方がいいと思います。
  • その他、リンク切れがあった部分はこちらで修正しています。非常に細かい所ばかりで申し訳ありませんがよろしくお願いします。--重陽会話2024年2月21日 (水) 10:59 (UTC)[返信]
    • 返信 逐次精査していきます。コメント書式の関係上、番号が振りにくく、インラインで済マークおよび編集差分を記載する形となりますので予めご了承ください。編集差分で疑問が解消されていないと重陽さんがご判断なさった場合、済マークを除去してかまいません。
      • 「ジョージ三世の王位継承以降のイギリス憲法史」のタイトルはODNBではThe Constitutional History of England since the Accession of George IIIとあり、表記ゆれがみられます。外部リンクから読める原文も表紙に1760–1860とあるものの、たとえばp. 15ではタイトルに1760–1860が含められておらず、いずれにしても表記ゆれの範囲であると判断します。ただし、渡辺・小山・浜田共訳以外の日本語訳がみられないため、日本語訳との整合性を重視して英語表記でも年がつく表記にしました。
      • 『The Imperial Parliament』は加筆が難しそうです。『Knight's Store of Knowledge for All Readers』は有用知識普及協会英語版(SDUK, あらゆる分野の知識を大衆に安価な出版物で提供する団体)の一員として出版業者チャールズ・ナイト英語版が出版したものであり、メイが寄稿者の1人だった、という形になりますが、メイが寄稿した理由についての言及はこれまであたった文献には見当たりませんでした。SDUKはホイッグ色の強い団体であり、ホイッグ党/自由党支持の傾向があるメイが同調して寄稿した、あるいは社交界でSDUKの関係者と知り合って寄稿を求められた、といった推測はできますが、いずれにしても文献がなければ書けません。
      • 『議会立法機構』が匿名出版だった理由はこれまで読んだ文献にはありませんでした(外部リンクから読める1881年の再版でも説明はありません)。『エディンバラ・レビュー』の寄稿者に匿名の方が多いという推測は立ちますが、そのように書かれている出典を見つけたわけではないので、『エディンバラ・レビュー』の『議会立法機構』記事に著者名が記載されていないことを匿名出版の一次出典として追加しました。
      • 「初代ファーンバラ男爵」「メイ」「アースキン・メイ」の表記は、叙爵後の事柄では「初代ファーンバラ男爵」、それ以前では「メイ」に統一しました。
      • 「8vo」と「8voパンフレット」は出典でパンフレットと記載されているかどうかによります。「小冊子」はわかりやすさを重視する編集者が使用した表記ですが、パンフレット小冊子とでは意味が異なることもあり、正確さを重視してパンフレットに統一しました。
    • --ネイ会話) 2024年2月21日 (水) 15:34 (UTC)追記--ネイ会話2024年2月21日 (水) 16:40 (UTC)[返信]
      • 賛成 非常に細々とした所にご対応いただきましてありがとうございます。『The Imperial Parliament』に関しては状況は推察できるものの言及している文献がないということで、書けないので書かないという対応でいいと思います。適切に編集されていることを確認しましたので保留票を取り消し賛成票としました。--重陽会話2024年2月24日 (土) 08:12 (UTC)[返信]

賛成3票、反対0票。賛成票が3票以上かつ賛成票が全体票数の3/4以上の状態を満たし1週間経過したので選考通過。--Keeezawa会話2024年3月2日 (土) 08:47 (UTC)[返信]